二人の電脳天使は、睨むように対峙して、互いにふいと視線を外した。
金と銀で赤と青、対として作られた存在が、お互いを無視しあうが、それは相手のことを意識してい
ることを表している。
「相性悪いのかしら」
「えーそんなことないよ。卵の時、かなりシンクロ率高かったもん。外見も能力も互いに補い合うよう
に調整したし。まだ慣れてないんだよ。きっと」
3Dゴーグルで画面をみながら、麒麟はヒミカの声を聞いていた。
画面内の仮想空間は、麒麟とヒミカが共同で買ったプライベートスペースだ。
チェーンと呼ばれる無料通信では、通話にも好きなアバターを使うことができるので、麒麟もヒミカ
もアガルタでの姿そのままだった。
フルダイブしているわけではないから、画面の端にヒミカが映っているのが見える。
仮想空間で生まれたばかりの電脳天使は、赤髪の方を聖神邪、銀髪のほうを夏鳳須と名付けた。
ヒミカが主張する対の名は、マダラの守護者である二天童子という。
「ねえねえ聖神邪。おにいちゃんって呼んでいい?」
「は? ヒミカ何言ってるのよ」
電脳天使はサイバースペースでのパートナーだ。だが、それを擬似的にとはいえ、兄と呼ぶのは行き
過ぎな気がする麒麟が眉をひそめると、画面の中の少女はにっこりと笑って、最初からそう決めてたん
だものと呟いた。
『もちろん俺はかまわないぜ。今日からヒミカは俺のマスターで妹だ』
「やったね! よろしく、おにいちゃん!」
喜び合う主と従者の前で、居た堪れなくなった麒麟は、自分の守護戦士を見つめた。
『なんだ? キリン?』
不審に思ったのか、夏鳳須が尋ねてくる。
憮然として偉そうな態度を見て、麒麟は少しおかしくなった。
「なんだか、夏鳳須って王様みたいね」
無表情に麒麟を見つめ返しながら、夏鳳須は口の先で笑った。
『俺は俺だけの王だからな』
「え?」
電脳天使は自由意志に近いものをもつ。それは知っている。だが、今孵化したばかりの人工知性体の
言う台詞だろうか。これが?
麒麟が戸惑っていると、聖神邪が夏鳳須の頭を後ろから小突いて笑い声を上げたが、その場で反撃さ
れて火花のようなものが散ってうずくまった。
『あっっぶねぇぇだろぉぉぉ! いきなりデーター置換とか、バグったらどうしてくれんだよ!?』
『そのぐらい防御しろ。できないなら消えろ』
「データー置換? 夏鳳須それ標準装備なの?」
他者が作成したプログラムをデーター置換するのは犯罪だ。麒麟は法律を順守することにこだわりは
ないが、自分の意図しないところで犯罪行為をされるのは困るどころの話ではない。
だいたい自分はそんなプログラムは組んでいない。ということは、卵の時から持っていた特性だとい
うことになる。
『俺も装備してるぜ』
「え、おにいちゃん、データー置換使えるの? すごーい!」
聖神邪の言葉を聞いて、無邪気にヒミカが喜んでいる。
しかし麒麟は慌てて言った。
「ちょ、ちょっと待って、電脳天使って皆データー置換初期から装備しているものなの? だって違法
なんでしょう?」
『全員が使えるというわけではないが、高レベルになると使えて当たり前だな』
『そうそう。守護者もちは秘密にしてるから広まらねーんだけど、電脳天使の最大の特性は他者のデー
ターを書き換えることができることにあるからな。もちろん能力の大きさに比例して防御の方も強くな
るんだよ。使えないものの方が珍しいんだけど、使い道は色々あるから、実際犯罪行為をしている連中
も少なくない。それに対抗できるのも電脳天使だけってことで、守護者には厳しい監視がつくな。もち
ろん当局に発見されればの話だけどよ』
守護者とは、電脳天使の俗称だ。
だいたいのことはわかったが、気になる点もある。
「あなたたち、孵化したばかりなのに、主が知らないことを、なんでそんなに詳しいの?」
当然の疑問を口にすると、ヒミカが笑いながら答えた。
「当たり前だよぉ。卵はネットに常時繋いであるんだもん。得られる情報はリアルタイムで、人間が手
に入れられるレベルを遙に超えてるんだよ。むしろ知らないことのほうが珍しいんじゃないかな?」
「孵化する前に意識があるの?」
子供の頃に卵を手にれた麒麟だったが、電脳天使の情報には明るくなかったので、ヒミカの言葉に素
直に驚く。
卵は孵化した時、まっさらな状態だと思っていた。
『意識と呼べるような明確なものじゃねーけどな』
『知らないことのほうが珍しいというのは少し違う。瞬時と言ってもいいタイミングでネットから必要
な情報を選択しているだけだ。俺たち自身に蓄積できるデーターには限りがある』
『ただ自分の性能については基礎知識があるからな。データー置換に関しては明らかにされていないけ
ど知ってて当たり前の知識なんだよ』
犯罪行為が標準装備だなんて、なぜ電脳天使が規制されないのか不審に思う。
『規制なら暗黒期と呼ばれた時代にされまくったさ。電脳空間へのフルダイブが広まったばかりの頃だ
。天使狩りとか呼ばれて、データーが消去された。マスターへの処罰も重かったし、死刑になったやつ
もいるぜ』
「死刑!? 私そんなこと習ったこと無いわよ!」
「噂では聞いたことあったけど、本当なんだ? おにいちゃんが言うなら本当なんだろうけど、電脳暗
黒期って、政治情勢が混迷を極めたっていうだけしか教えてもらえないんだよね。ネットに繋げても得
られる情報ってあんまりないし、無責任な噂がひとり歩きしてるから、何が本当なのかまったくわから
ないんだよね。守護者持ちだけが真実に辿り着けるって噂もあるけど、肝心の守護者持ちは情報をほと
んど外に漏らさないし」
『電脳天使にしかアクセスできない情報があるしな』
「夏鳳須、あなたはなぜ私の所にきたの?」
規制されたと言いながら、今では彼らは生活の一部になっている。
もちろん絶対数は少なく、守護者と呼ばれるランクの上級天使も限られている。
だが、麒麟は夏鳳須を手に入れたのは、ただの偶然で、特別な何かをしたわけはない。
実際に孵化した自分の天使を見ていると、麒麟が思っていた電脳世界へのパートナーという認識は表
面的なものでしかないことがわかる。
電脳天使がそんなにも貴重で危険なものであるなら、麒麟とヒミカの所に彼らがきたのも何かの意図
があったからではないのか。
『電脳天使の主になれる人間は決まっている』
夏鳳須は、整った表情を変えずに言った。
「資格は何?」
『霊力を持つものであることだ』
「霊力?」
それは金剛宗の教えではなかったか。
同時に『アガルタ』のPCの基本ステータスでもあることを、今の麒麟は知っている。
でもそれは……。
「誰でも持っているものじゃないの?」
「やだキリンちゃん。知らないのー? 霊力が得られるのは、かなりレベルを上げないとダメなんだよ
ぉ。巫女は霊力高いけど、どんなステータス上げれば巫女になれるのかはまだ攻略されてないしね」
「それはゲームの中のことでしょ。私が言ってるのは……」
そう言いかけて、麒麟は気がついた。
金剛宗の教えなど、ヒミカは知らないのだ。
大規模な宗派とは言え、閉鎖的な金剛宗の教えなど、一般人のヒミカが知っているはずもない。
だからこそ、『アガルタ』は金剛宗の関係者によるものではないかと推測されるが、それも麒麟の想
像に過ぎない。
『霊力は修行次第で誰でも持てる可能性はあるけどよ。高位に上がれるのは一握りしかいないぜ。そし
て選ばれたものには、俺たちにはわかるはっきりとした印があるからな』
『年齢にも性別にも左右されない。それが霊格だ』
つまり、その格の高さによって、持てる電脳天使の格も上がるというわけか。
金剛宗の教えと、今聞いた知識はかなりの部分で符合する。
では、摩陀羅とはなんだろう。
最高の霊性。
神の中の神。
おそらくはアガルタの真王であるマダラの存在が意味するものはなんだ。
「摩陀羅を知ってる?」
『複数の意味があるな』
『どんな摩陀羅が知りたいかによるね』
「おにいちゃん。あたしマダラのお嫁さんになるにはどうしたらいいか知りたいな」
「ちょ、ヒミカ」
意図しないことを口にされて、麒麟は慌てた。
「いいじゃん少しぐらい聞いても。あ、キリンにも教えてあげていいよ。勝負はフェアにね」
「そういうことじゃないわよ」
『やめとけやめとけ。真王の嫁なんて、ろくなことねーぞ』
しばしの沈黙の後、目が座った聖神邪が、低い声で言った。
「え、おにいちゃん、ヤキモチ?」
『誰もそんなことは言ってね-よ!』
「あ、図星だね。大丈夫。おにいちゃんのことも大好きだから!」
ヒミカと聖神邪の掛け合いに毒気を抜かれて、麒麟は摩陀羅について聞けなくなった。
溜息をつくと、微かな夏鳳須の声が聞こえた。
『摩陀羅とは、約束の名だ』
「夏鳳須?」
それ以上は黙ったまま、画面の中の夏鳳須は目を閉じた。
摩陀羅とはなんなのか、謎がさらに深まってしまった気がして、麒麟はもうひとつ溜息をついた。
摩陀羅に会いたい。
この気持はどこからくるのか。
麒麟はまだ何も知らなかった。
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