星暦446年4月上旬、タイタニア公爵ジュスラン・タイタニアは、従兄であるアリアバート・タイタニア公爵と私室で紅茶を飲んでいた。
アリアバートがジュスランの私室を訪れることは珍しいことではない。
少なくとも、その逆よりは頻繁に、アリアバートはジュスランの住居に通っている。
一見するとアリアバートが一方的におしかけているように見えるが、穏健派のようでいて、情け容赦の無い部分があるジュスランが断らないということは、二人の関係が良好、もしくはそれに準じたものであることを示している。
にしても、その想いの重さの比重は、よりアリアバートの方が大きいのは予想できるだろう。
アリアバートととて、ただ茶を飲むためにジュスランの私室を訪れているわけではない。
ふたりの隠された関係を別にしても、従弟の気を引く話題を集めてくるぐらいの配慮は、アリアバートも持ち合わせている。
今回は既に会議で決定したエウリヤ市との戦闘の話題である。
「ケルベロス星域の会戦」と名付けられることになる戦闘において、アリアバートは一都市艦隊を相手にするとは思えないほどの兵力を投入しようとしている。
もちろん質と量を共にそろえたタイタニアの精鋭部隊が、たかが一都市の艦隊に負けるはずも無いというのが、アリアバートの主張だったし、それは本来ならば間違いとは言えなかった。
「完全武装のピクニックに行くようなものだな」
アリアバートは笑いながらそう言ったが、可愛くない従弟は冷静に反論した。
「窮鼠猫を噛むの例えもある。あまり見くびり過ぎるのもどうかと思うが」
「ジュスランは、相変わらず慎重派だな。そのための大兵力だ。ピクニックと言ったのは言葉の綾で、戦闘で手を抜いたり、油断するつもりは無いよ」
ジュスランは目線だけで、了解したことを示した。
ただ視線は厳しいままだ。
何か気に入らないことがあるのだろうと、長い付き合いのアリアバートは心の中で溜息をついた。
これでは、今日は寝台に入れてくれそうも無い。
それでも無理強いをするほどアリアバートも若くは無い。
今日はひこうと、型どおりの礼をしてから、ジュスランの私室を後にした。
残されたジュスランは、少しだけ表情を変えて、アリアバートが去って行ったあとを見た。
「戦場では何があるかわからない。それがわからないお前でもないだろうに、油断しないだと。気の緩みすぎだ。にしても……」
エウリヤががタイタニアに対抗しようとするのが解せないとジュスランは思った。
星間都市連盟の戦力があてにならないとなれば、勝てる見込みの無い戦いに出るほど、エウリヤの上層部も莫迦ではあるまい。
一矢報いてやれと言うやけくそなのか、少しでも勝算があるのか、あるいは……、そこまで考えてジュスランは思考を止めた。
すべては戦いの結果で判断すればいいことだ。
エウリヤと戦うのは自分ではなくアリアバートなのだから。
思考の中に、アリアバートを案じる気持ちがあることを、ジュスランはあえて無視した。
アリアバートとジュスランは、従兄弟であり、兄弟であり、情人でもあるが、ジュスランはアリアバートをさほど評価していない。
タイタニアであることを誇りにしているだろう従兄に情は移っているが、その能力と人格には惹かれるところがないと思っているジュスランだった。
アリアバートは、人柄がよく、軍人としても一流だ。
だが、それが自分を惹きつけることはないとジュスランは思う。
アリアバートと付き合っているのは惰性だ。
少年の日に結んだ関係が、別れる理由も無く続いているに過ぎない。
アリアバートに好かれている事はわかっているが、アリアバートを好きだと思うには何かが足りないと考えてしまう。
フランシアのこともそうだ。
彼女は十分すぎるほど自分につくしてくれるが、その優しげな愛情に物足りなさを憶えてしまう自分は贅沢なのだろうか。
その日から結局、会戦が終わった後の会議まで、ジュスランとアリアバートは顔を会わせる事が無かった。
ケルベロス星域の会戦が、アリアバートの敗北で終わったのちの5月17日。
会議の前の席上で、イドリスとザーリッシュがアリアバートを揶揄しているのを、くだらないことだとジュスランは思った。
自分を向上させようとする姿勢なら、ジュスランも好意を抱くが、他者を引きずり落とすことで相対的に自分を上位に持ち上げようとする姿はみっともないことだと個人的には思っている。
イドリスには最年少者としての言い分があるのだろうが、他者から自分の姿がどう見えるのかを自覚した方がいい。
それよりもジュスランは考えることがあった。
アリアバートを破った将の存在とエウリヤの今後の出方、何より藩王が何を考えているのか。
それに気を取られていると、アリアバートが突然右隣に座したジュスランのほうへ、上半身ごと向きなおった。
目には明らかな苛立ちが見られる。
「なぜ平然としていられるのだ。われわれタイタニアが栄光を害われ、鼎の軽重を問われようとしているのに」
「われわれ?」
わざとらしく問い返したが、アリアバートの本心はわかっている。なぜ自分の方を見てくれないのかだ。
アリアバートは、例え責められる事になっても、ジュスランの視線と言葉が欲しいのだ。
ジュスランは、おだやかな苦笑を両眼に揺らめかせた。
「われわれではない。君だ。敗れたのは君個人だ、アリアバート。単数形を使うのだな。タイアニアは不敗だ。君の敗北は、タイタニアの敗北ではない」
アリアバートの秀麗な顔立ちに、傷ついた子供のような表情が広がった。
人前で自分に意見すれば、どんな皮肉が返ってくるかぐらいわかっているだろうに、その顔はなんだとジュスランは呆れた。
自分の発言も、その結果も、どちらもくだらないと思った。
よほど敗れたことがショックらしいが、アリアバート敗北の知らせを聞いて、自分が気を揉んだ分だけ落ち込んでおけとジュスランは思考を切り替えた。
エウリヤにとって、この勝利は返って害になる。
タイタニアを本気にさせて困るのはエウリヤだ。
ただ一度の勝利で、タイタニアに対抗しうると夢想できるほど、身の程知らずでもあるまい。
タイタニアに喧嘩を売っただけでも、身の丈をわきまえていないと言えばそうだが、あの戦が始めから仕組まれていたものだとすれば別の話になる。
ジュスランの仮定は、その後現れた藩王アジュマーンの言葉で、肯定されることとなる。
エウリヤ上層部とアジュマーンは、裏で密約を結んでいたのだ。
つまり、ケルベロスの会戦は茶番だったと言うことになる。
負けるはずだった戦いに勝利してしまったファン・ヒューリックという男のことを、ジュスランは記憶に留めた。
母都市を追放された男は、タイタニアにとって重要な意味を持つ日が来るかもしれない。
その時ジュスランは、アリアバートのことを忘れていた。
アリアバートの視線が、自分を追いかけていることにも気が付かず、思考の海に漂っていた。
「ジュスラン卿!」
宇宙港へと向かう途中で、ジュスランはアリアバートに呼び止められた。
そのままアリアバートの言葉を聞きながら走路に乗る。
ジュスランは黙って従兄の言葉を聞いていた。
アリアバートにとっては、ケルベロスの会戦で自分が押し付けられた役割に納得がいかなかったようだ。
当然ではあろうが、ジュスランに答えのしようがあるはずもない。
だからこれは、アリアバートなりの甘えなのだろう。
これが、イドリスやザーリッシュ相手だったならば、話題にさえ出さないことはわかっている。
わかっていたから皮肉は返さなかったが、頭の中はアリアバートの話よりもアジュマーンの言葉から考えうるあらゆる可能性についてでいっぱいだった。
無反応に近いジュスランの態度に苛立ったのか、アリアバートはわずかに声を高めた。
「どうだ、それともジュスラン卿なら、あのばかばかしい戦いに勝てたとでもいうのか」
「そう主張しているように見えるか?」
ジュスランは切り返した。
突然現実に引き戻され、少し躊躇したが、アリアバートの言葉は完全ないいがかりだ。
焦っているのはわかるが、自分に八つ当たりをされても困る。
ジュスランを高く評価しているらしい従兄は、自分にできないことがジュスランにはできるのはないかと主張したが、面倒くさくなったジュスランは、丁寧に先ほどでの会議の非礼をわび、アリアバートの言葉を軽くあしらった。
不完全燃焼の顔をしたアリアバートに片手を上げて踵を返すと、アリアバートもそれに倣って自分の宇宙船に向かって歩き出した。
5月26日。アリアバートは約束もなしにジュスランの私室に押しかけた。
ふたりの関係を考えれば、珍しいことではないように思えるだろうが、実はこれは初めての出来事だった。
それを追い返さなかったジュスランは、ブランデーグラスの中身を軽く呷り、アリアバートの様子を観察した。
思いつめた様子はなかったが、いつも柔和な表情を浮かべる秀麗な顔が、幾分か緊張したような無表情を保っている。
出された酒にも手をつけず、何かを言いかけては、口を閉じる。
こうしてみると、この従兄は、従兄の母親によく似ている。
自分もどちらかというと母親似だというのに、姉妹を母親に、同じ男を父親に持った自分達はまったく似ていない。
ジュスランの母も、その妹とはあまり似ていなかった。
似ていなくて幸いだったなとジュスランは思った。
もし、互いがもっと似ていれば、互いに抱く感情はもっとやっかいなものになっていただろう。
それとももっと単純に無関心でいられただろうか。
血の繋がりなどろくでもないものだ。
特にタイタニアにおいては。
ジュスランは、己がタイタニアであることを自覚しながら、それに何の価値も認めていなかった。
ジュスランは異端だった。
アリアバートとは違う。
自分達はあまりにも違いすぎる。
別れを切り出すべきだろうか。
口を開こうとしたジュスランは、アリアバートが自分を呼ぶ声に言葉を噛み殺した。
「愛している」
「うん?」
アリアバートの言葉を、ジュスランは一瞬理解できなかった。
一生言われるとは思っていなかったので、聞き違いを起こしたのかと思ったのだ。
「酔っているのか、アリアバート」
酒など一滴も飲んでないことを承知で言ってみると、生真面目な従兄は苦笑した。
「俺は正気だ。ただ、お前に愛していると告げたかった。お前にとって俺はたいした意味を持たないのかもしれないが、それだけは憶えておいてくれ」
「アリアバート、俺は……」
アリアバートを愛していると思ったことは無い。
無いが、捨てがたい想いをジュスランも持っている。
「答えはいらない。お前を縛るつもりも無い。今までどおり接してくれればかまわない。許してくれジュスラン。言葉にすることで、お前への想いを自分で確認したかったんだ。意味が無くてもいい。今は俺がお前にとって無価値な存在だとしても、いつか認めさせて見せるからな」
「ヒューリックのことは、もういいのか」
わざと嫌な話題を持ってきたが、アリアバートは笑って答えた。
「敗北をいつまでも引きずっても勝利は得られない。ヒューリックのことは藩王殿下しだいということにしておく」
そういうと、ジュスランからグラスを奪うと、触れるような軽いキスから、激しく舌を絡めあう深いキスを貪った。
逃げ腰だったジュスランは、肩で息をしている。
残った理性でアリアバートを睨んで息を吐く。
「勝手な」
「勝手だな。でも今までもずっとそう思っていたんだ。今回のことで、それを実行に移してみようと思った。片思いでもかまわないはずだったんだがな。欲が出た。諦めてくれ」
この男は、こんな人間だっただろうか。
アリアバートを見誤っていたことを、ジュスランは知った。
そして、何故かそれに惹かれつつある自分も自覚していた。
「今夜は寝室に入れてくれるだろう?」
「勝手にしろ」
引きずられるようにして、ベッドに投げ出されると、アリアバートはジュスランの制止よりも早く、従弟の着衣を乱した。
首筋に舌を這わされると、思わず声が漏れる。
いつもより興奮している自分が、ジュスランは不思議だった。
「アリアバート……」
ここまでくると焦らされるのは辛い。
ジュスランは自分から、アリアバートの服を脱がしだした。
それを止めたアリアバートは、自分からグレーの軍服を脱いで、ジュスランを抱きしめる。
「愛している、ジュスラン。ずっと言いたかった」
体温を確かめるように抱きしめあって、ふたりはもう一度唇を重ねた。
互いに伝わる唾液を指に絡めると、アリアバートはジュスランの胸の突起を抓ったり指の腹で押しつぶしたりした。
突起からじわじわと快感が背中を走って、ジュスランはみじろいだ。
自分はこんなに感じやすかっただろうか。
困惑の中で、ジュスランはアリアバートの首に手を回して抱きついた。
「アリアバートぉ……」
声が蕩けているのが自分でも分かる。
こんな自分は知らないとジュスランは思った。
アリアバートの想いには答えられないが、これはなんだろう。
愛していると思ったことは一度も無いが、そもそも自分はアリアバートのことを何も知らないのではないか。
距離を詰めたのはアリアバートだ。
応える気が無いのなら退けばいい。
だが、ジュスランは初めて、アリアバートのことを知りたいと思った。
わかっているはずだった男のことは忘れよう。
今日からのアリアバートを知りたい。
自分を愛していると初めて言った男のことを知りたかった。
アリアバートの指が後孔に挿し込まれ、柔らかくなるまで解されたそこは、熱い肉棒を待ち受けていたように受け入れ、逃さないようにキュッと締め付けた。
「くっ…ジュスラン……!」
アリアバートの顔が快感に歪んでいる。
この顔は好きだ。
何度も見た表情を、初めて見たように感じた。
貫かれるたびに、快感でおかしくなりそうだった。
慣れている行為のはずなのに、こんな衝撃は知らない。
触れられるまでもなく硬く勃起したジュスラン自身が互いの間ではじけると、熱い奔流が最奥に注ぎ込まれ、ジュスランは意識を失った。
目が覚めると、体は清められて、夜着が着せられていた。
隣にはアリアバートが眠っている。
今日は帰らないつもりらしい。
使用人たちには既に知られている関係だ。
今更取り繕うこともないかと、ジュスランも眠りにつくことにした。
「アリアバート、俺はお前を愛していない。だが……」
言葉の続きを呑み込んで、ジュスランは瞳を閉じた。
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