この人は、本当に女好きなのだろうか。
仕事中にもかかわらず、ハボック少尉は銜えタバコのまま、書類の山と格闘している童顔の上司を眺めながら考えていた。
マスタング大佐といえば、軍部を代表する女たらしとして有名だが、それは本当に事実といえるのか、実は以前からハボックは疑問に思っていた。
きっかけは、何度目かの彼女を上司に奪われたせいだが、結局ハボックが振られただけで、ロイがその後その女性と付き合ったという事実はなかった。
部下の女を根こそぎ奪っていくというのは、やっかみからくる単なる噂で、それも熱を上げるのはいつも女性から。
ハボックも女性には親切な方だが、ロイは女性を女神のように扱う。
まるで崇拝しているように。
ロイは真性のフェミニストだったが、それは必ずしも女好きを意味しない。
この上司は、女性を心から賛美し、大切に扱う。
でも、それだけだ。
自分たちのような、女に対する生々しい欲望が、ロイには希薄だった。
相手を探す必要もないほど、女性にもてているのも事実ではあるが、マスタング大佐のゴシップをどれほど探そうと、ロイが特定の女性と関係を持ったという情報はみつからなかった。
デートの相手には事欠かないくせに、彼は本当にお決まりのデートコースをすませると、必ず家まで女性を送り届けて自宅に帰ってしまうらしい。
特定の彼女の存在も確認されていない。
これで女好きというのはどうだろうか。
しかも、この上司は、絶対に他人を自宅に上げようとしない。
それは、錬金術師としては当たりまえの用心らしいが、少しおかしくないだろうか。
いつからか、ハボックは上司の行動を、以前とは違った視線で見つめるようになっていた。
その理由も、もうとっくの昔に自覚している。
自分はこの上司が好きなのだ。
もちろん、特別な意味で。
好きな相手のことを知りたいのは、ごく当然のことだが、相手がロイ=マスタング大佐では、一筋縄ではいかないことぐらい承知の上だ。
それでもハボックは知りたかった。
暴きたかったという方が正しいだろうか。
誰にも見せない、ロイの傷と本当の姿を。
知りたいという想いは、ほとんど欲望に近かった。
「賭けをしませんか?」
「いきなりなんだね、少尉」
仮眠室で昼寝をしていたロイは、額に皺を寄せてハボックを睨んでいる。
半眼の視線は剣呑だが、そんな表情も可愛いと、腐ったことをハボックは思った。
「期限は一週間」
「上司の話は聞きたまえ。何がどうしたというんだ」
まだ目が覚めきっていないのだろう。
視線が少しふらついていた。
心の中では、あーもうこのひとったら、この場でぐしゃぐしゃに撫で回したいとか、やはり腐りきった思考を展開しながらも、いつものぼーっとした表情のまま、ハボックは続けていった。
「大佐は、俺を好きになる」
途端にロイは目を丸くして口を開いたが、出てきた声は言葉になっていなかった。
寝起きを狙ったのは正解だった。
正気の時にこんなことを言ったら、すぐさま消し炭にされていただろう。
さりげなく、発火手袋を遠ざけるのも忘れていない。
「大佐が俺に惚れたら俺の勝ち。賞品はもちろん大佐自身で」
完全に座った目が、言葉より雄弁にロイの怒りを伝えていたが、ハボックは平然とそれを無視した。
彼にとって勝負は、仮眠中のロイに声をかけた時点から既にはじまっているのだ。
「わたしが勝った場合の賞品はなんなんだ。このふざけた賭けとやらに乗らなくてはならない必然性を提示しろ」
鼻で笑われなかっただけでも勝率は皆無ではない。
時にこの上司がとても細やかに相手の心情を推し量ることを、短くはない護衛期間の間にハボックは知っていた。
冗談と本気の区別を、ロイははっきりと理解したうえで誠実に対処する。
自分という存在は、少なくともマスタング大佐の部下として有能であることをハボック自身理解していた。
だから、その部下の本気の言葉を、一蹴したりしないことも、ちゃんとわかっている。
「大佐が勝ったら、俺は振られることになりますけど、でも一生あんたの犬になりますよ。どんなにあんたが変わっても、絶対にあんたを裏切らない。文句も言わずについていく犬にね」
さて、このひとはどうでるだろうか。
ハボックは、イタズラ小僧のように、なんだかわくわくしていた。
「わけがわからんな。お前は今でもわたしの部下だろう。最後までついてくると言ったのは嘘か」
「いえ、どんでもない。もちろん本気ですよ。でも、それはあんたが俺たちが選んだままのあんたでいてくれたらだ。上司は部下を選べるけど、部下は上司を選べない。だけど、俺たちは違う。俺たちはあんたに選ばれ、そして俺たちもあんたを選んだ。でも俺たちが選んだのは、あんたの意思と野望だ。見限る権利は俺たちにも発生するんですよ」
「わたしがわたしである限り、お前はわたしについてくるのだろう。ならばなぜそんな賭けに乗る必要があるんだ。しかもそれではお前にも何のメリットもないじゃないか」
怒りよりも不審そうに、ロイはハボックを見上げた。
仮眠中だったのだから、シャツとズボンだけの状態で、上目遣いで見られて、ハボックは目眩をおこしそうになった。
もちろん自分の目が腐っていることは承知している。
それでも抱きしめそうになる衝動を抑えるのは、思ったより大変だった。
「自分だけの犬が欲しくありませんか? 自分で言うのもなんですが、俺はかなり優秀ですよ」
「わたしが勝ったら、少尉はわたしだけのものになるのか?」
ロイは少し首をかしげた。
そうした仕草をすると、童顔がさらに子供っぽく見えて、とても年上には見えない。
「ええ、犬ですから。ご主人様には絶対服従。犬すきでしょ、あんた?」
「少尉が勝ったら、わたしが少尉のものになるとは、どういう意味でだ」
「賭けにのってくださるなら、教えますよ」
「ふむ。わたしが少尉に惚れるということ自体あり得ないが、お前がわたしだけのものになるというのなら、乗ってやってもいいかもしれないな」
自分がどれだけすごいことを言っているのかわかっていない上司の手を、ハボックはうやうやしく持ち上げ口付けた。
「俺が勝ったら、こういうことを、その唇にさせて欲しいということです」
「ハっ…ハボックぅぅぅぅぅ!!!!!!」
「約束ですから、逃げないで下さいよ」
赤くなって暴れだした上司の攻撃をよけながら、ハボックは仮眠室を後にした。
こうして、東方司令部で最もくだらないと言われた賭けが始まった。
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