欲しいものは何も無い。
捨てて惜しいものも何も無い。
ああ、それは嘘だ。
認めたくは無いが、私は嘘をついている。
欲しいものがひとつだけある。
無くしたくないものがひとつだけある。
だが、それを口にすれば、君は私を愚かだと怒るのだろう。
もっと欲張れと、君は言う。
それは難しいと私は思う。
生前から欲求は少ないほうだった。
まして死者の身で何を望むと言うのか。
君に会うまで、望むのは己の抹消だけだった。
それを諦めたのは、過去の己から答えを得たからだ。
君のためじゃない。
でも君と会ったことで、私には未練ができた。
それも座に戻れば消えるはずのものだったのに、君は私の座で笑いながら待っていた。
その時の泣きたいような感情を何と呼ぶのか知らない。
好きだと言われるたびに痛みが走る。
欲しいものは、そんなものじゃない。
言葉など欲しくない。
私にはそんな資格などありはしないのだから。
欲しいものは、ただ──────
祈るように、私はランサーに向かって矢を放った。
「あぶねぇじゃねーか! いきなり何しやがる!」
坊主とアーチャーの家の方へ夜の散歩をしていた俺に向かって、突然暗闇から剣が突き刺さった。
間一髪避けたが、それは俺の矢避けの加護のせいで、俺の力じゃねえ。
俺じゃなけりゃ、即死の攻撃だった。
もちろん剣を弓矢に使う男を俺はよく知っている。
だが、何故今本気の攻撃を仕掛けたのかがわからなかった。
俺の矢避けの加護を、あいつもよく知っている。
だけど、攻撃は本気だった。
今日は何かあいつを怒らせたっけ?
不思議に思いながら、俺は戦闘態勢に入って、アーチャーが立つ衛宮家の屋根に飛び上がって、あいつの胸倉をつかもうとしたのだが、その前に双剣の一線が走り、俺はアーチャーから距離をとった。
ゲイ・ボルクを構えると、俺は笑った。
「何を怒ってるのか知らねーけど、喧嘩なら買うぜ?」
「別に怒ってなどいない」
笑いながらアーチャーが答えた。
聖杯戦争中は、この皮肉っぽい笑い方がムカついたものだが、今ではそんな笑みさえ魅力的に映るんだから、俺もそうとうだ。
見たところ機嫌は悪くないらしい。じゃあ、なんでだと俺が内心で首を傾げると、アーチャーは今度は嬉しそうに笑いながら宣言した。
「君と本気で戦いたいだけだよ」
ああ、俺本気でこいつに惚れてるなと一瞬固まってしまった。
物騒なことを、子供のような笑みを浮かべて告げるアーチャーに俺は見惚れた。
生死をかけた戦いは俺も嫌いじゃない。
相手がこいつならなおさらだ。
といっても、本気で殺しあうわけじゃないけどな。
命を狙うばかりが本気の戦いじゃない。
アーチャーが望んでいるのも、生死をかける寸前のぎりぎりの戦いだろう。
命を懸けて戦いたいのに、俺もこいつも互いを殺せなくなっている。
いや、殺せないわけじゃないが、殺したくない。
誰かに殺されるぐらいなら俺が殺す。
それは俺の当然の権利だと思っている。
多分それはアーチャーも同じだろう。
ただこいつはどうも俺に殺されたがっている気配がある。
自分殺しは諦めたと言いながら、俺に殺されることを望むのはどういう矛盾だ。
俺はこの与えられた奇跡のような時間の中で、アーチャーともっと他愛の無いことをしたり、ぶっちゃけ深く求め合いたい。
もっと大事にして、ぐちゃぐちゃにしてやりたい。
ただ只管好きだと想う気持ちが伝わらないのは何故なのか。
こいつが、卑屈すぎるから悪い。
俺の言葉は、ひとつとしてまともに受け取らないくせに、戦うときだけは楽しそうだ。
それも、負けることを厭いながら、傷付けられることを喜ぶという。
こいつはなんでこんなにマゾなんだろうか。
他人の血よりも、自分の血に興奮するタイプだ。
同じ歪みを抱えていても、坊主のほうはまともそうなのにな。
坊主は経験値が足りないが、嬢ちゃんにはあのぐらいがちょうどいいだろう。
微笑ましいな。
なのに、俺がアーチャーを好きで、アーチャーが俺に惚れているのも間違いないと思うのに、俺たちはこんな綺麗な月の夜に殺し合いをしようとしている。
なんだかなと思ったが、俺は誘いに乗ることにした。
血が騒ぐような殺し合いをして、傷ついたアーチャーの体を組み伏せて、それから大事に愛したい。
だから負けられねぇ。
俺はアーチャーに向かって笑って見せた。
「いいぜ、殺しあう寸前まで戦おうじゃねーか」
笑いながらランサーは言った。
ランサーと戦えるのは嬉しい。
本気の彼を見るのはぞくぞくする。
私を最初に殺した男と互角に戦える喜びは、聖杯戦争中唯一のものだった。
己の抹消を望みながら、かつてなす術もなく自分を殺した男と力量で拮抗すると言うのは、存外な嬉しさだった。
ずっと戦っていたいと思ったこともある。
彼は正しい英雄として、私の魂を惹きつけた。
神の子たる伝説の戦士は、凡人に過ぎない私には眩し過ぎた。
いつかこの日々に終わりが来るのなら、ランサーの手で座に帰りたい。
永遠に続くものなどありはしないのだから、終わり方ぐらい自由に望んでもいいだろう。
理解されたいとは思わない。
ただ、彼と殺しあう瞬間が欲しい。
「では、はじめようか!」
合図とともにランサーの首筋を狙った攻撃は、彼の槍でぎりぎり防がれた。
最速のサーヴァントを相手にするには、手数の多さがものをいう。
夫婦剣干将と莫耶で、ゲイ・ボルグの攻撃を捌いていった。
担い手として、最も手に馴染んだ武器だ。
おさおさランサーの攻撃にも劣りはしない。
それでも捌ききれない槍先が、私の右肩を抉った。
宣言どおりの容赦の無い攻撃が連続して襲ってくる。
痛みはほとんど快楽だった。
彼がくれたものだと思えば、痛みさえ愛しい。
だが、私も簡単に負けるわけにはいかない。
ランサーにとって、手強い敵であることに、私の存在価値があるのだから。
干将で槍を防ぐと、莫耶でランサーの横腹を切り裂く。
何度も打ち合ううちに、互いに傷だらけになっていく。
彼の血が流れるのをもったいないなと思いながら、私は次の瞬間を待った。
「どういうつもりだ」
わざと作られた隙を突きそうになって、俺は寸前でゲイ・ボルクをなんとか止めた。
罠ではないと直感が告げていたので、考える前に本能がアーチャーの弱い部分を突きにいったのを、無理矢理意思の力で止めたわけだ。
体はまだ戦いたがっていたが、俺の質問と同時に双剣を消し去ったアーチャーの肩の傷を手で抉って、痛みに歪む顔に怒りを覚えながら、もう一度俺は言った。
「消える気だったのか」
言葉だけは穏やかに尋ねたが、内心は煮えくり返っている。
こいつは心臓の真上に微かな隙を作って、そこを俺に突かせようとした。
いつものじゃれ合いではなく、本気で俺に殺されるつもりだったのだ。
俺の承諾もなしに。
これが怒らずにいられるか。
「消えるなら、君の手でと思った」
「まだその時はきてねぇ! お前だってわかってるだろ!」
「今の時間は世界のバグに過ぎない。次の瞬間には終わっているかもしれない未練と言う名の残滓だ。永遠がないのなら、せめて君の手で終わりたかったと思うのは我侭だろうか」
「そういうのは、自暴自棄っていうんだよ! 明日が無いかもしれないからなんだってんだ。今生きているのなら、最後まで足掻け! それが生きるってことだろうがよ」
「私たちは生者ではないがね。それでも君は諦めるなというのか」
「それが仮初めでも、俺たちは間違いなく存在しているんだ。お前がいらねぇっていうんなら、俺が拾う。俺のものを勝手に粗末に扱うな!」
今更なことを言った。
俺が最初に印をつけた。こいつははじめから俺のものだ。セイバーにも渡しはしない。
あの剣の丘に輝く聖剣に負けない楔をこいつの中に打ち込みたい。
心臓を貫いただけじゃ足りねぇ。
永遠を欲しくないと言うこいつを、
永久に縛る確かなものが欲しかった。
「君は、残酷な男だ」
そう言って、アーチャーは消えそうな表情で笑った。
気にいらねぇ。
俺は実力行使に出ることにした。
「そんな言葉言えなくしてやるから、こっちこい」
肩の傷に舌をねじ込むと、俺はアーチャーを衛宮家の土蔵に連れ込んだ。
土蔵の床に押し倒されると、ランサーは私の概念武装を引っぺがしはじめた。
予想できたことだったので、抵抗はしなかったが、聖骸布だけにされた自分の姿は予想以上にいやらしい気がする。
いっそ全て脱がして欲しいが、口を挟む隙もなく、唇を奪われた。
温かい舌が唇をなぞってから、するっと口の中に入ってきた。
そのまま舌を絡め取られ、強弱をつけて吸われると、腰に力が入らなくなってくる。
性行為の延長線上にあるキスは、あまり経験が無いような気がする。
その経験不足を差し引いても、ここまで腰砕けになるのは、相手がランサーだからだろう。
彼に触れていると思うだけで、体中が熱を持つ。
ランサーは、私の体中の傷を丹念に舐めると、片手で私自身を弄んだ。
上下に擦られ、雁の部分に爪を立てられ、私は苦痛に混じった喜悦の声を漏らした。
無造作な手つきに反して、優しく乳首を押しつぶされると、そこからじんわりと快感が広がっていく。
「……あっっんっ……くぅ……」
抑えきれない喘ぎが漏れる。
無様に声を上げる私の口に、ランサーの血が擦り付けられた。
思わず舐めとってしまって、体中が熱くなる。
与えられた魔力の欠片が、体の中を循環する。
それは過ぎた快楽のようで、苦痛に似ていた。
抱かれるのも、ランサーの血を飲むのも初めてじゃないのに、全てが新鮮に感じられるのが不思議だった。
こんなことを望んでいるわけではないのに、抵抗できない自分が無様だった。
望んでいないと自分に言い訳しながら、蹂躙されることを待っている。
愛されたいわけじゃなかった。
ただ、ランサーという存在そのものが、泣きたくなるぐらい痛かった。
殺されたいと思うことと、セックスをして喜ぶのも、理由は同じだ。
それがランサーだから。
いつの間にか、君は私の光になっていた。
「んんっ」
勃起しているそこを触られて、鼻にかかったような声が漏れた。
先端から垂れる先走りを指ですくいながら、ランサーは私の耳元で囁いた。
「濡れてるぜ。後ろまでびしゃびしゃだ」
「はっ……ぁ、あ、あっ……!」
ランサーは、そこに舌を伸ばすと、そのまま勃起したそれを呑み込んだ。
熱い粘膜に包み込まれて、腰の辺りから泡立つような感覚が生まれて、全身が震えた。
指を輪にして雁首を押さえると、もう片方の手が、会陰を辿って、奥深い場所に潜り込み、まだ慣らしていない場所へ、いきなり指が突き立てられた。
もとより既に濡れている場所だったから、あまり抵抗なくランサーの指が入っていく。
何度経験しても、その違和感だけは拭えない。
まして、霊体化すればリセットされてしまうう肉体の慣れは、指ぐらいはたやすく出し入れしても、ランサーを受け入れるには狭かった。
それでも、ランサーが熱い楔を後孔に押し当てたときは、次の衝撃を恐れながらも、それがもたらす快楽を期待した。
無言で一気に貫かれて、私は声にならない悲鳴を上げた。
「くっ! あいかわらず、きついな……」
ランサーが、私の胸に顔を当てて息をつく。
彼の整わない呼吸が、ランサーも感じているのだと教えてくれて、どこかが満たされた気分になる。
ランサーの背中に手を伸ばすと、体内に埋め込まれた彼自身を締め付けてしまって、体がぴくんとなる。
ゆっくりと腰を突き上げだしたランサーに翻弄されて、私はただ彼の体にしがみつくだけだった。
前立腺を擦られて、信じられない快感が襲ってくる。
私は抱かれることには慣れていたが、ランサーに抱かれるまで、セックスにたいした快感を得たことはなかった気がする。
それは、反射行動に近かった。
だが、ランサーとの行為はまったく違う。
もっと擦って、突き上げて、わけがわからなくなるまで犯して欲しい。
激しく突き上げてくるランサーの動きに合わせて腰を振りながら、今この瞬間に殺してくれればいいのにと思った。
頭が真っ白になる快絶の中、奥深くで魔力の奔流がぶつけられるのを感じて、私もようやく射精した。
行為のあと、意識を失った私の髪を、ランサーが撫でているのに気がついて、目を覚ます。
何かを言おうとして、私は結局黙ったままだった。
「あのな、俺だって永遠があると思ってるわけじゃねーんだ。ただ、今ここにいる限り、俺を欲しいと思ってくれても罰はあたらないと思うぜ」
守護者の現実を彼はわかっていない。
失うぐらいなら最初からいらないと思ってしまう私は臆病なのだろうが、彼のように割り切ることはできなかった。
世界は私を放しはしない。
あの日、凛に告げたように、私はこれからも守護者として存在し続ける。
与えられた奇跡のような時間を、ランサーのように楽観的には受け止められないけれど、今この温もりだけは私のものだと思った。
永遠はいらない。
ただ、欲しいのは、ランサーに殺される一瞬だけだ。
だが、私がそれを口にしなかった。
替わりに、ランサーの髪に口付けた。
そうして、私は再び目をつぶって、短い眠りについた。
彼の手で殺される幸せを思いながら。
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