イアルは太陽。そして幸運。その意味は、愛。
遠い世界のもう存在しない国で、彼女の父は亡くした兄の名を娘に与えた。
イアルという名は、父ベルカインにとって、きっととても大切な名前だったのだろう。多くを語らなかった父の思いを知らない彼女だったが、彼女を呼ぶ父の優しい声だけはいつまでも耳に残っている。
イアルは太陽の子。
だから、彼女の名は陽子になった。
第4世界ですべてを失ったベルカインの無念を知るものは誰もいない。
失われた王国とともに滅んだ孤独な王子は、その胸のうちを誰にも語ることなく死んでいった。
聖銃とベルカインと二人の姉妹を巡る悲劇を知らない陽子は、竜と聖銃の関係にも気付かなかった。
彼女を育てた義父も彼女に何も告げなかった。
だからそれは、やはり偶然だったのだ。
太陽が照っていると気分がいい。
今日は絶好の洗濯日和で、ヨーコ小杉は機嫌がよかった。
ヨーコは洗濯が好きだ。
洗濯機を回しているとふわふわとした気分になって、とても気持ちがよく、ブレインハレルヤを使っているときと同じような気分になる。
いつでも上機嫌だと周囲から思われているヨーコだが、それはもともとの性格より精神に直接作用するドラッグプログラムのせいだった。
ドラッグのせいなのか、極限まで追い詰められた精神のせいなのか、ヨーコの記憶は曖昧で空白が多い。
演技と本当の区別がつかなくなってしまったヨーコは、本来の自分をもう思い出せなくなっている。
忘却と狂気という偽りの平穏の中で、ヨーコはとても幸福だった。
屋上からは校庭がよく見える。
洗濯物を干しながら、ヨーコは厚志を見ていた。
見違えるほどに彼は強くなった。
もう少しで絢爛舞踏章に手が届く彼に恐怖する人間も多いが、ヨーコはいつもうっとりと彼を見つめてしまう。
小隊が発足したばかりのころ、まだ幼い少女が笑いかけてくれた失われた日々に、厚志といっしょにお弁当を作ったことがあった。
器用な彼は、料理が上手で、レパートリーを増やすためにヨーコとよく話をした。
演技ではなく、本当に楽しかった。
恋愛感情ではなくても、ヨーコは厚志がとても好きだ。
彼はヨーコの最愛の人によく似ている。
姿かたちではなく、その存在の意味するところが。
だから、彼が絢爛舞踏になることは、ヨーコにとって必然でさえあった。
ヨーコが愛してしまった養父もまたそうであったのだから。
絢爛舞踏が必ずしも絢爛舞踏章を持っているわけではない。
絢爛舞踏とはアラダのことであり、ヨーコの養父は最小にして最強の戦力と呼ばれた青の青───完全なる青だ。
アラダには様々な意味があるが、絶技を行使できるものという簡単な共通点がある。
精霊を使役できるのが、アラダと呼ばれるものの条件だ。
ののみを失った戦いで、厚志は精霊手を発動させた。
整備のヨーコは戦場にはいなかったが、その青き輝きを、義弟のクリサリスが教えてくれた。
ヨーコが厚志に惹かれたように、銀河と名を変えたクリサリスも彼を愛していることに、彼女は気がついている。
それは不快な感情ではなかった。
自分の義弟と厚志が寄り添う姿を見ると、苦しいような幸せなような、判別のつかない感情で切なくなるけれど、クリサリスに向けられる視線が、何故か自分に向けられているように錯覚して、ヨーコの胸郭が熱くなる。
養父に顧みられることのなかった代償行為なのかもしれない。
愛されたいと願い果たされなかった想いを、ふたりに託しているのかも知れない。
厚志に愛されたいわけではない。
そこまで自分を見失ってはいなかった。
ヨーコが愛されたかったのはひとりだけで、その人は彼女を愛してはくれなかった。
彼の人が愛したのは…………。
「手、止まってるよ」
突然声をかけられて、ヨーコはシーツを落としそうになった。
「さっきから、速水くんのことずっと見てるよね。もしかして、好きなの?」
新井木のまっすぐな視線と向き合って、ヨーコは戸惑ったように笑った。
無神経でいい加減な新井木のことを、ヨーコは嫌いだった。新井木もヨーコを嫌っているのに、声をかけてくるのは彼女がクリサリスの姉だからだ。
小柄というより、チビでガリガリの新井木は長身のヨーコと並ぶと大人と子供ほどの差がある。
いつもはた迷惑なほど元気な新井木には珍しく深刻な表情で校庭の厚志を見ると、天を仰いで呟いた。
「好きならとっちゃえばいいのにさ」
まさか本気ではないだろうが、何を言い出すのかとヨーコは言葉に詰まった。
何故かこの娘の前では、ヨーコはいつも反応に困る。
相槌すら打てずに戸惑うばかりだ。
「アンタって、ホントなんにも言わないよね。別に僕のこと嫌いでもなんでもいいけどさ、その態度ムカツク」
ムカツクのはこっちのほうだとヨーコは首を傾げた。
「気に入らないなら言葉にすればいいのに。僕のことだけじゃなく、みんなことが嫌いなくせに作り笑いしないでよ!」
大きな声で叫ぶと、新井木は走り出した。
現れたのと同じように瞬く間に姿を消した新井木の言動に、残されたヨーコは唖然として立ち尽くした。
なんなのだろう。あの小娘は。
ヨーコの皆殺しリストにとっくに載っている新井木だったが、もっとも残酷で屈辱的な殺し方を脳裏で繰り返して、ようやく気持ちをおさめた。
新井木のほうこそ、厚志を好きなのだろうか。
いや、新井木はクリサリスに想いを寄せているのだ。なんて身の程知らずな。
美しく、優しく、残酷な厚志という少年こそ、クリサリスの隣には相応しい。
そう。男たちに汚されていない、あの妬ましく憎らしいあの女など、ちっとも厚志には似合わない。
ヨーコは舞を想うと憎らしさのあまり、目の前が黒くなる。
厚志はあの人とは違う。
この国以外に故郷を持たないのに、外人と呼ばるヨーコを普通に扱ってくれる。
ブレインハレルヤに侵された脳が生み出す曖昧な表情や、緩慢な動作を蔑むことなく優しくしてくれた。
『イアルは太陽のコ。陽子は幸運の娘ですヨ』
精霊使いにしか見えない青い文様を、厚志の手に描いたのは、感謝の印であり、期待でもあった。
精霊使いの証にして、世界が選んだ印である精霊手を、厚志なら使えるのではないかと。
この世界に、あの人と同じ力を持つものが再び現れることを、ヨーコは夢想した。
そして、薬が与えてくれた幻想は、現実になったのだ。
ヨーコは発作のように胸を押さえた。
――憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い――
何故あの女が彼の隣にいる。
舞に笑いかける厚志。対のように寄り添う二人を引き裂いてやりたい。
薬が与えてくれる夢の中で、厚志とヨーコや舞の義父は同一の存在となっていた。
決してヨーコを愛してくれなかった青の青。
バッドトリップの狂気の中、ヨーコは自分と同じ種類の闇を感じた。
嫉み、嫉妬、憎悪、狂気と見まごう愛と独占欲。
「ふふふふふふふふふふふふふふ」
ヨーコはくるくるとダンスを踊った。
精神感応でよくわかる。
二階の教室から、あのふたりを見ている男がいる。
紫の目をした男。
可哀想な愚かな鬼が。
きっとあの男なら、わかるだろう。
ヨーコの抱える闇と狂気の深さが。
使えると思った。
どうしてやろうかと、ヨーコは幸せそうに微笑んだ。
ヨーコと厚志の出会いはただの偶然だった。
だが、陰謀と裏切りしかない、支配された運命の中で、これもまた世界の定めであったのかもしれない。
ヨーコはいつまでも、笑い続けた。
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ブレインハレルヤでいつも陽気な陽子さん。
ゲームではすぐに来須とくっついてしまうので、女の子でプレイして来須を狙うと困ります。
設定知って、女は怖いと思いましたが嫌いじゃないですよ。
ベルカインの娘ってのがツボでした。
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