オーマとはアラダの七つの体系。
アラダとは第2世界の言葉で絢爛舞踏を指し、しばしば“歌い手”と訳される。
ガンプとは青のことだが、青のオーマは失われている。
猫たちが歌っている。
それは戦いの歌。ガンパレードマーチ。
その元となった遠い世界の歌を口ずさみながら、クリサリス・ミルヒ───今は来須銀河と名乗る彼は、戦場に輝く青い光を見つめていた。
「……精霊手……」
ガンプ・オーマの絶技のひとつであり、元々は第3世界の技術だという。
新興の一族たる「芝村」が台等する因となった数々の理由のひとつに、この世界にはあり得ない超技術の独占がある。
7つの世界すべての技術を手にしている芝村に敵は存在しない。
芝村の目標は世界征服だと公言されているが、それは妄想でも野望ですらなく、近い将来実現する現実にほかならない。
知るものは芝村の中にも限られているが、幻獣の存在自体が芝村の計画のひとつでもあるのだ。
それを来須は知っていた。
彼もまた芝村であり、それ以前に「青」であったから。
リューン(精霊)が集まるあの中心には速水がいる。
精霊手の発現がそれを教えてくれた。
人類の決戦存在となった速水は、これで新たに第5世界のシオネアラダとなった。決戦存在と絢爛舞踏を兼任するものをHEROと呼ぶ。
その名が背負う真実を知る来須には、猫たちのように喜びの歌を歌う気にはなれなかった。
人類の決戦存在となるのは舞のはずだった。
速水は多くのものを失ってあの場に立っている。
失った少女との約束のために、神に、そして世界に喧嘩を売るために、精霊が宿るその拳を天に振りかざしているのだ。
哀れだとは思わなかった。
速水も舞も、それが世界の選択だというのなら、速水が必要とする限り来須は彼の背を守ることを己に誓っている。
舞を愛していた。
男女の情ではなかったが、来須が求め続けずにはいられない青のオーマを体現する舞を、彼女が幼い頃から遠く見守り続けていた。
それゆえに友とも呼べる岩田を、恵まれた環境への嫉妬から恨んだことさえある。
舞の家令として選ばれたとき、岩田とは決定的に決別することになった。
来須が大家令のクローンであり、舞の兄になった岩田を妬んだように、岩田は来須が舞の家令となったことを羨んだ。その結果が決闘だったが、来須は一度として岩田に勝つことは叶わなかったのだ。
多分、自分も岩田も舞に彼の人の面影を見ていたのだろう。彼に憧れることと、彼の娘である舞を愛することは来須の中で同じ意味を持っていた。
彼の娘だから舞を愛したわけではない。
舞が彼の娘であることを、自らその意思と存在で持って証明し続けたからこそ愛したのだ。
岩田も同じであることを知っていたからこそ、来須は嫉妬を捨てることができなかった。
舞の保護者として彼に選ばれた岩田が妬ましかった。
そんなくだらない引け目が、舞を死に追いやったのかもしれない。
自分たちはいつも同じものを求めていた。
だが、もう同じ道を歩むことはないだろうと、後悔ではなく素直に思うことができる。
死者を取り戻すことはできない。
舞はHEROの呼び水となることを、自分の意思で選んだ。
それは「芝村」の陰謀だったが、舞はそれすらも利用して自身ではなく速水を青の青とすることを望んだのだから、舞の死を悲しむ理由は来須にはない。
舞の意思は速水とともにある。
速水は舞の意思を受け継いだのだから。
だから今でも来須は舞を愛することができる。
速水の中に存在する芝村舞という存在を、ずっと愛している。
新たなシオネアラダの誕生を祝福しようとは思わない。
それは血塗られた道であり、修羅の道だ。
血に塗れても、貫かねばならない意思の力ゆえに、シオネアラダという存在は哀しいまでに美しい。
崇拝でも、恐れでも、憐れみでもなく、愛しさゆえに来須は歌った。
舞を愛したようにではなく、速水が愛しいと思う。
速水の中の舞ゆえに、速水を愛している。
舞とあまりに正反対だからこそ、速水を愛さずにいられない。
矛盾した思いは、来須の中では葛藤しない。
舞を失った絶望は、速水を変えずにはいないだろう。
それでも、変わらず速水を思い続ける自分を来須は知っている。
愛するものが求めるものを与え続けることしか来須にはできない。愛しすぎて、奪うことなど考えつきもしなかった。
速水をはじめて腕に抱いたのはいつだったろう。
滝川が戦死した夜だったか。
舞が速水を愛する前に、速水が舞を愛する前に、来須は速水に魅かれていた。
来須の目には、舞と速水はひとつの存在に映っていたから、舞を愛するように速水のことも愛しく思えた。
それは来須にとって自然な感情だった。
速水の身体を知ってしまった今では、速水に欲望を感じないわけではなかったが、本当は身体のつながりなどなくてもかまわない。
不安定な速水の心を慰めるために抱いているというのが実際のところだが、もちろん義務ではなく求められれば応えたいと思うのは速水を愛しているからだ。
執着というものを来須が感じるとすれば、それは個人に対してではなく、青のオーマそのものに対するものなのかもしれない。
瀬戸口のような執着と狂気を来須は理解しない。
愛するものへの忠誠だけが、来須の愛だった。
「いつか、おまえはそこにたどり着くだろう」
すべての青の王の座に。
必要とされる限りは側にいようと、青い光に来須は誓った。
それが来須にできる唯一の証だった。
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