その週は、何日も雨が続いた。
プレハブの学び舎は雨で痛み、あちこちから水が滲んでいた。
「今日は、全員で校舎の修理をします」
善行委員長の決定に、ほとんどの生徒は不満を訴えたが、学内では委員長の決定は絶対だ。
それにわずかだが、突然のできごとを喜んでいる者たちも、本当に数人ではあるが、存在していた。
校舎の修理を、何かのイベントのようなものだと思っているらしい。
実際、整備班と戦闘班がいっしょに何かをする機会など滅多になかったし、この機会に親密度を上げようと思っているものも何人かいたのだった。
その中には、自称お耳の恋人である瀬戸口隆志もリストに上げられる。
瀬戸口には計画があった。
まだお互いに周りと交友を深めていない今のうちに、意中の存在に自分をアピールしようという作戦だ。
ターゲットは何故か男。
女子供以外には欠片の愛着も持たないはずの瀬戸口が、初対面から懐かしい愛着と最上級の警戒心を抱かせたのほほんとした少年だった。
瀬戸口の本能が、目の前の存在は危険だと知らせるのに、心は何故か少年の存在そのものに惹かれている。
出会ってから十日あまりだが、そのぽややんとした不思議な存在感は、隊になくてはならないものになりつつあった。
東原ののみという存在が、かつての女神シオネアラダのクローンだと知らされたときから、陰ながら彼女を守ろうと決めていた瀬戸口は、危険な存在を監視しようと決めていた。
「まってろよ、バンビちゃん。俺様の広い愛で包んであげるぜ」
どうやら、瀬戸口は監視とナンパを間違えているらしかった。
たちの悪い鬼に狙われているのもしらず、ターゲットの速水厚志は、校舎の修理と掃除に余念がなかった。
もともと主婦気質のため、こういう作業は苦にならない。
新しい板をあてて釘を打とうとした時、瀬戸口にやんわりと腰を抱かれて、釘と金づちを奪われた。
「からかうのもいい加減にしてください、瀬戸口さん」
「バンビちゃんの白い手が傷ついたら俺が悲しいから、ここはお兄さんにまかせておきなさい」
「何度も言ってますけど、僕男ですよ」
「何事にも例外はあるものさ。坊やは俺の特別なんだよ」
釘を手早く打つと、瀬戸口は厚志の手を柔らかく握り締めた。
「小さい手だな……」
そう言ってから、瀬戸口はその手が本当にあまりに小さいことに気がついた。
瀬戸口が握っていたのは、幼い女の子のかわいらしい手のひらだった。
「ひ、東原?」
瀬戸口は、握った手をとっさに離して、焦りながらほんの少し後ずさった。
女と子供の守り神であることを選んだ瀬戸口だったが、ののみは舞が後見していることもあり、積極的に繋がりを持とうとはしていなかったのだ。
彼が目指したのは、あくまで陰ながらの守護だ。
そんな相手が、この状況下でいきなり現れたことに瀬戸口は内心でひどく驚いていた。
そんな瀬戸口の気も知らず、ののみはもう片方の手を厚志と繋いで天使の笑顔を見せた。
「おててをつなぐのはうれしいことなのよ。ののみはだいすきなのよ。あっちゃんもうれしい?」
「そうだね。ののみちゃん、なんだか楽しいよ。ありがとう」
「たかちゃんもうれしい?」
無邪気に尋ねられて、瀬戸口はにっこりと微笑んだ。
「レディと手を繋げるなんて、嬉しいと思わない男はいないさ。もちろん嬉しいよ」
「よかったのよ、ののみ、あっちゃんとたかちゃんをごはんにさそいにきたのよ。しょくどうでまいちゃんがまっているからはやくいくのよ」
「舞が? もちろんご一緒させてもらうよ」
「レディのお誘いは断れないな」
本当は芝村の側には近寄りたくなかったが、ののみのお誘いの上に、厚志も行くとあっては、瀬戸口も行くしかなかった。
(坊やの隣の席にでも座って親睦を深めるか)
そう甘くは行かないのが、人の世の常であることを、千年も生きてきて、まだ学んでいない瀬戸口だった。
舞の隣で、瀬戸口は憮然としながら弁当を食べていた。
舞の真向かいに席をとった速水の隣に座ろうとしたら、当然のようにののみがその席を奪ったからだ。
会話も舞は時々突拍子もないことを言うだけだが、ののみはたくさん厚志に話しかけて、なごやかなムードを成立させていた。
そこに瀬戸口が口を挟む隙はなかった。
瀬戸口の野望は、この時点で既に潰えていた。
その後も、理由をつけては厚志に接近しようとした瀬戸口だが、厚志が舞の側にいるときは近寄りがたいし、ひとりのときを狙えば、無邪気なののみが絶妙のタイミングで邪魔をするという目にあい、厚志と親密度を上げることはできなかった。
夕方ようやく作業が終了し、みんなが帰宅しようとしているとき、最後のチャンスと厚志に声をかけようとした瀬戸口は、またもやののみに邪魔をされた。
首をゆらゆらと動かしながら、ののみは厚志の制服をひっぱった。
「あっちゃん、ののみ、おねむみたいなのよ」
「じゃあ、家まで僕が送ってってあげるよ」
「坊や一人じゃ心配だから、俺もついていってやろうか?」
「けっこうです」
速攻で断られて、瀬戸口は本気でへこんだ。
(東原、俺になにか、恨みでもあるのか)
おもわずそう考えてしまったのも無理からぬことだった。
計画がすべて失敗に終わった男は、ののみを背負う厚志を見て、いっそ、坊やごと背負ってやりたいと、馬鹿げたことを考えてため息をついた。
そのとき、すっかり寝息を立てていたののみの口から、小さな声が瀬戸口の耳に届いた。
「……ののみは、なんでもしっているのよ」
厚志には聞こえなかったらしい台詞を聞いて、瀬戸口は慄然とした。
(全部わざとか、東原!)
そんなわけはないと自分の考えを打ち消しながら、去っていく厚志とののみの後姿を見送って、ひとり瀬戸口は乾いた笑いを響かせた。
これが、ののみの侮れなさを瀬戸口が最初に知った事件であった。
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5121キリ番リクエスト作品です。
いいところをののみに邪魔される瀬戸口という条件はクリアできているでしょうか?
ののみを黒くできたかは自信ありませんけど。
相方の唯人さんに捧げました。
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