夜明け前、1番暗い時間に目がさめた。
素肌に感じる他人の体温で、ようやく自分が一人じゃないことに気がついて、意味も無くむかつく。
理由なんてどうでもいい。
重ねられた腕を振り払って起きあがると、珍しいものが目に入った。
「……八戒」
確かめるように名前を呼んだが、目覚める気配が無い。
落ち着いた寝顔。
静かな表情が誰かに似ている気がして、一瞬呼吸ができなくなる。
「ふざけんな」
代わりなんかいらねえ。あの方の存在に代えられるものなんてどこにもありはしねえんだ。
守らなくてもいいものが欲しかった。
そうだろ?
投げ出された掌に自分の掌を重ねると、少しだけ八戒の手の方が大きい。
そんなことを今更になって気付く。
「八戒」
もう当たり前のようになった行為の後で、こいつの寝顔を見たのは初めてだ。
そんなことを、今ごろになって気付いた。
八戒はいつも、俺が眠ったことを確認してから寝るらしい。
目を覚ましたときも、八戒は先に起きていて、寝顔なんて見たことがなかった。
こんな関係になったきっかけがなんだったのか、もう思い出せない。
ただ、雨が降っていたことだけが頭のどこかに残っている。
俺とこいつの痛みは違うものだ。
わかるなんて死んでも言わねえし、言わせねえ。
だからこいつの抱えてる傷に触れる気は、さらさらねえし、俺の傷に触らせるつもりもない。
言わないことがある。
言うつもりのないことだ。
だが、単に言えねえだけじゃねえのかと思うこともある。
くだらねえ。
こいつがどんな気で俺を抱いたのか、考えたことがなかった。
どうでもいいと思ったのか、それでも、受け入れたのは俺の意思だろう。
八戒を欲しいと思ったわけじゃないが、嫌じゃなかった。
それは、めったにないことだった。
世の中は、むかつくことばかりで、周りを見れば馬鹿ばかりだ。
なかでも一番むかつくのは、自分自身の馬鹿さ加減だろう。
強くありたい。あの方の、それが最後の願いだから。
自分だけを信じてる。けれど、俺を一番信じてないのも、俺自身だろう。
触れられる手を気持ちいいと感じた。
みっともねえ欲望をなすりつける下司どもとは全然違う手の感触を、もう少し感じていたいと思ったのは俺だ。
こいつのせいにする気はない。結局、望んだのは俺なんだから。
閉じられた瞼に指を這わせる。
翠緑の瞳が脳裏に浮かぶ。
永遠に失ったものがある。
こいつにも…俺にも。
そして、永遠に忘れられない人がいる。
その記憶を失ったら、自分自身が崩れてしまう…己の核にしてしまった人の思いでがある。
雨の日は、大事な人を守れなかった記憶がフラッシュバックして、あの日の自分自身への憎しみで、今の自分を見失いそうになる。
そんな自分の弱さに吐き気がする。
指で辿った唇に、自分の顔を近づけて、そのまま触れるだけのキスをした。
一方的な口付けは、何時の間にか深いものになり、気がつけば逆に八戒に追い詰められていた。
「…っ、はぁ…ん」
「積極的ですね、三蔵」
いつもの笑顔。
こいつの笑顔は信用ならないが、仮面でもなんでも、笑えるんならいいさ。
こいつの真実はわからなくても、嘘は見抜ける自信がある。
「八戒」
「はい?」
「八戒」
「三蔵…?」
忘れられないのも、忘れるきがねえのもお互い様だが、言葉は勝手に口を出た。
「お前が俺を抱いた理由はなんだ」
もういない女のことを考えた。
弱くてずるい女。
自分を信じてなかった女。
悟能の双子の姉だという、俺の知らない女。
もうこの世のどこにもいない、だが、こいつの魂が朽ちるまで、消えることない女のことを。
八戒は悪戯を咎められた子供のような表情で俺を見つめると、笑いながら耳元で囁いた。
「あなたが欲しかったんです」
吐息のような微かな声が、耳をくすぐる。
「……どうしても」
息が詰まった。
胸の奥から笑いがこみ上げてくる。
「上等だ」
会うことがなかった女にむかって俺は呟いた。
悟能の心はおまえのものだ。悟能は永遠におまえだけを愛している。
だが、生きてるこいつは…俺のものだ。
「おまえは八戒だろ?」
「ええ、あなたが三蔵であるように…」
もう一度キスをして、俺たちは抱き合って眠りについた。
夜はまだ明けない。
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