滝川が交通事故で昨日亡くなったと坂上が告げたとき、厚志は床が抜け落ちたような気分に襲われた。
意味が分からない。
つい昨日まで、銀色の幻獣を見たと騒いでいたのに。
絢爛舞踏に近づきつつある厚志に隔意を見せていた滝川だったが、厚志はそれを仕方がないことだと思っていた。
滝川は友達だった。
嘘で作りあげた土台に立った友情だったとしても、厚志は滝川が嫌いではなかったのだ。
本気で嫌われたわけじゃないことも知っていた。
ただ、滝川は厚志が怖かっただけなのだ。
人ではなくなりつつある厚志を、今では皆が恐れている。
でも滝川はそんな自分を恥じていた。
だから、厚志は滝川の気持ちが落ち着くのを待とうと思っていたのだ。
それなのに、あっけなく滝川の死を知らされて、厚志は人が簡単に死んでしまうものだということを忘れていたことに気がついた。
戦場以外でも人は死ぬのだ。
自分だって、何人も人を殺してきたのに、どうして滝川は死なないと思っていたのだろう。
その方が不思議だった。
舞と来須にすがるようにして、なんとか平静を整えた頃、厚志は制服のボタンを坂上からもらった。
ボタンにはひびが入っていた。
それが誰のものであるか、厚志には一目で分かった。
「どうして、これを僕に」
「わたしには、彼女に渡すことはできませんでした。あなたが、一番適任だと思ったからです」
坂上はサングラスの下でどんな眼をしていたのか、ボタンの意味を知る厚志は、坂上の見えない視線をじっと見つめ返した。
「彼は、ずっとボタンを握り締めていたそうですよ」
厚志は、長い間、掌の上のボタンを見つめていた。
滝川は、良くも悪くも普通の子供だった。
子供の頃見たロボットアニメに憧れて戦車兵に志願したり、母親に虐待されていたことを隠すために、わざと明るいキャラを演じたり、心に闇を抱えていないものの方が少ない5121小隊では、滝川は本当にただの15歳の少年に過ぎなかった。
だが、特別な存在でないことは、滝川の心をいつも深く傷つけていた。
彼はいつだってヒーローになりたかったのに、現実はそれに追いついてくれない。
人型戦車に対して、並々ならぬ愛着を持っていた滝川は、その愛情と臆病さゆえに戦場で功績を挙げることができなかった。
舞などは、滝川の慎重さを、返って評価していたのだが、わけもなく「芝村」に不信感を持っていた滝川に、その評価が伝わることは無かった。
まだ戦車学校に来たばかりのころ、「芝村」舞には係わるなと、滝川は厚志に何度も忠告した。
それでも厚志が舞に傾倒していくのを見て、滝川は呆れながらも厚志の恋を、消極的にではあるが応援していた。
友情に厚く、それでも嫉妬や疑念を抑えきれない。それでいて、そんな自分をいつも恥じている。
滝川はそんな普通の少年だった。
「いつも空を見ているのね」
国語の芳野先生に声をかけられたとき、滝川はびっくりして持っていた携帯ゲーム機を落としそうになった。
新井木に「雲博士」と命名されるほど、よく空を見ている滝川だったが、まさか芳野に声をかけられるとは思ってもいなかった。
これが本田なら、問答無用で機関銃の嵐がきそうだし、坂上ははじめから声をかけてこないだろう。
芳野のことは、滝川にはよくわからなかった。
大人の女の人は、母親を思い出させて滝川は怖かったが、芳野はどこか少女のようでもあり、こうであればよかったのにと滝川が想像した母親の姿にも似ていた。
「何をそんなに熱心に見ているのか、先生にも教えてくれる?」
「えっ、えっと、雲が……」
滝川は言葉につまった。
芳野と個人的に話しをしたことは一度もなかったし、空を見ている理由を、滝川は自分でもよくわからなかった。
「雲が、いろんな形になるのが……面白いからです」
結局そんな言葉しか言えなかった。
芳野はそうなのと頷くと、滝川に嬉しそうな笑顔を見せた。
その笑顔を見た瞬間、滝川は赤くなった。
今まで先生としてしか見ていなかったが、女の人なんだと急に気がついて、ドキドキしたのだ。
彼女が欲しいと、茜や厚志にいつも言っていたが、本当は女の人と付き合うということが、滝川にはぴんとこなかった。
単に子供じゃないことをアピールしているに過ぎなかったので、女の人を女の人だと認識すると、急に照れてしまう。
小隊の女子は、滝川の中で仲間という範疇に入っていて、普段女を意識することはほとんどなかった。
だから滝川は、芳野の前で、ただ緊張することしかできなかった。
芳野が色々な生徒に話しかけて、そのたび落ち込んでいることは知っていた。
戦時下において、国語の授業などまともに受けるものは少ない。
滝川だって、芳野の授業中は寝ているか、ハンガーで自分の機体の整備をしていた。
「こんなことをいうと、嫌がられるかもしれないけど、国語の授業は、戦争が終わった後に大事なのよ。今が大変だからこそ、日本語の美しさをみんなに分かって欲しいの。滝川君は国語が嫌い?」
「嫌いじゃありません」
反射的に滝川は答えていた。
芳野の悲しそうな顔は見たくなかったからだ。
「そう。よかった。……滝川君は優しいのね」
「オレは優しくなんてないです」
滝川のついた嘘は、芳野にはすぐにわかっただろう。
芳野を傷つけまいとして、逆に気を使わせてしまった子供な自分を滝川は悔しく思った。
こんなとき瀬戸口ならきっと、先生を本当に笑わせられることができるだろうにと思うと、余計に悔しかった。
「あら、滝川君、ちょっと上着を見せて」
「えっ、なんかついてますか」
「そうじゃなくて、ほら、ボタンが割れてるの」
そういわれて制服の上着を見ると、一番下のボタンが割れていた。
「職員室に換えのボタンがあるから、先生つけなおしてあげるわね」
「えっ、いっ、いいです。そんなこと、先生にやってもらうなんて……」
「いいから、いいから、やらせてちょうだい。こんなことぐらいしか、あなたたちにしてあげられることなんて、先生にはないんだから」
そういうと、芳野は滝川の手をひいて、女子高の校舎に歩いていった。
握った手は温かかった。
「はい、これで大丈夫。何かあったらいつでも先生に言ってね」
「ありがとうございます」
ボタンが付け直された制服をもらって、滝川はお礼を言った。
割れたボタンを握ると、滝川は芳野に恐る恐るといった感じで聞いた。
「あの! こっ、このボタンもらってもいいっすか」
「もともとあなたのボタンだもの、かまわないけど、壊れたボタンなんて持っていてどうするの?」
「えっ……えっと、芳野先生と話した記念ってことで!」
「あら、滝川君って面白い」
くすくすと笑う芳野の息は酒臭い匂いがしたが、滝川はボタンを大切に握り締めた。
「今の言葉、取り消せよ!」
「いやだね。ぼくは間違ってない。みんなだってもう知ってることじゃないか」
ハンガーに滝川の怒鳴り声と、茜の突き放したような尖った声が響いて、作業中だった整備員たちとパイロットたちは、一斉に二人に視線を向けた。
「茜、言いすぎだよ。滝川も落ち着いて。ここじゃ皆に聞かれてしまう。それはきみだってやだよね」
場所を移そうという厚志に、茜は少し膨れながらも頷いた。
滝川は、ズボンのポケットに入っている割れたボタンを強く握り締めて、厚志と茜を睨んだ。
茜は滝川の親友だ。
それでも、さっきの言葉を滝川は許せなかった。
同じく親友の厚志に促されて、ふたりは校舎裏に向かった。
「あの教師が廃棄処分になるのは、時間の問題だな」
茜は天気の話でもするように、そう言った。
それを聞いた瞬間、滝川は茜に詰め寄っていた。
そんな言葉は聞きたくなかった。
校舎裏に場所を変えて、滝川は思いっきり叫んだ。
叫ばないと、何もかも壊れてしまえと願ってしまいそうだった。
「先生は、ものじゃねぇんだ! 芳野先生はいなくなったりしない! 取替えがきく道具みたいに言うんじゃねーよ!」
「成体クローンなんて、皆道具だろ。代わりはいくらでもいるんだ。壊れれば取り替えられる」
茜は唇を少し噛んで言葉を続けた。
「芳野の人格はもう限界がきている。メンテナンスももう無理だって坂上が言ってたのを聞いたんだ。だから、処分は時間の問題だ。それだって、はじめからわかっていたことじゃないか」
「芳野先生は生きてるんだぞ! いくら成体クローンだって、俺たちの知ってる芳野先生は、今の先生しかいないんだ! なんで茜はそんなこと言うんだよ!」
「滝川、君は馬鹿だ。あの教師の処分はもう決定しているんだ。成体クローンは精神が不安定で壊れやすい。いくらでも補充がきくから、処分も簡単に決定される。そんな相手に感情移入したら、こっちが辛くなるばかりじゃないか」
「先生は苦しんでたんだぞ! 俺たちのために!」
生徒たちを戦場に送り出さなくてはならない現実から逃れるために酒びたりの生活を送っていても、芳野はいつも生徒たちに笑いかけていた。
自分の辛さを表に出さないで、いつも生徒のことばかり考えていた芳野を、滝川は好きになっていた。
茜は親友だ。
だからそんな言葉で、芳野を切り捨てて欲しくなかった。
芳野が学校にこなくなって一週間がたつ。
本当は滝川だって、もうあの芳野には会えないことぐらいわかっていた。
わかっていても、認めたくは無かった。
芳野は道具なんかじゃないと、ちゃんとした女の人だったんだと思いたかった。
自分たちの先生だった人を、取替えがきく品物のように言う茜が嫌だった。
「滝川。僕も、茜だって本当は人を道具だと思っているわけじゃないよ。ただ、そう考えないと、今は割り切れないだけだと思うんだ。僕たちは戦場にいる。いつ死ぬかも分からないし、先生を道具だっていうなら、僕たちだって道具なんだ。茜は、先生を道具だと割り切ることで、きみに死んでほしくなかっただけなんだよ」
「厚志の言うとおりだ。戦場では、わずかな動揺が死に直結している。もう取り返しがつかない教師のために、ぼくは君に死んで欲しくない」
「そんなこと……そんなこと、オレにはわかんねーよ!」
厚志と茜を残して、滝川は校舎の外に向かって走った。
走って、走って、公園まで来ると、滝川は声をあげて泣いた。
割れたボタンを強く握り締めると、滝川は誓った。
滝川が好きになった芳野は1人だけだけど、今度配属される芳野は、自分がきっと守るのだと。
もう壊れたりしないように、いろんなことを話して、自分が芳野を笑わせるのだと、滝川は強く誓った。
そしてまた、自分は芳野のことを好きになるのだろうと、滝川は哀しく思った。
それはまだ、5121小隊が激戦区に移る前のできごとだった。
「滝川の形見です」
そういうと、厚志は割れたボタンを芳野に手渡した。
芳野は不思議そうにボタンを見ていた。
その目は泣き腫らした痕があった。
今厚志の目の前にいるのは、二人目の芳野だった。
この芳野と滝川は仲がよかった。
だから、前の芳野に比べて、精神的には安定していたのだが、滝川を失って、芳野はどうなってしまうのかと厚志は考えた。
滝川が、何を考えて今の芳野と仲良くしていたのかはわからなかったが、このボタンを渡す相手は、芳野以外に考えられなかった。
「受け取ってあげてください。多分、その方が滝川も喜ぶと思うんです」
「私でいいのかしら。滝川君には、好きな女の子がいたんじゃ……」
「滝川は、芳野先生が好きだったんです。迷惑かもしれませんけど、どうか、受け取ってください」
押し付けるように、芳野の手に置かれたボタンを芳野に握らせると、芳野は悲しみの中に、少し喜びが混じった曖昧な笑顔を見せた。
芳野からは、もう酒の匂いはしなかった。
(滝川、きみは最後に何を思ったんだろう)
もう答えが帰ってくることがない問いを、厚志は胸の中で空に尋ねた。
こんなふうに、滝川はよく空を見ていた。
それは、何を思っていたのだろうか。
親友だといいながら、自分たちには、互いに多くの隠し事があった。
それでも、多分自分たちは親友だったのだと、厚志は思った。
そして、どこか誰もいない場所で泣いているはずの、茜の姿を探して、ゆっくりと芳野を置いて歩き出した。
芳野は多分大丈夫だろうと思いながら。
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この話では滝川は竜イベントの通り交通事故扱いで死亡しますが、サイト設定上は戦死です。
どうしても芳野先生との話が書きたくて、パラレル設定にしました。
どうせだから、厚志も白くしてみましたので、永遠の白とは全然違うひとたちです。
いずれ滝川戦死の話はちゃんと書きたいと思ってますが、別設定としてこのお話は読んでみてくださると嬉しいです。
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