~ 甘い痛み ~
その時感じた痛みを、なんと表現すればいいのかわからない。
ただその痛みは、何故かとても甘く感じられた。
来須が姿を消したのは、厚志が事実上の青の統率者となって間もなくのことだった。
世界を手に入れるのは目的ではなく過程だと言った舞の言葉の意味を、既に厚志は知っている。
HEROとなった厚志は、神をも越える知識と力を得た。新たに得た力は、理不尽な事実を見せつけるばかりで、絶望には果てなどないのだという認識を強めることにしかならなかった。
絶望の海から希望は生まれ、希望は新たな絶望を生み出す。
運命すらも人為的に操作された結果だというなら、彼女の死はなんだったのか。どうしても納得することができない。
納得するわけにはいかないのだ。
数え切れないほどの死を見てきた厚志は、死者に哀惜を感じることを馬鹿げていると感じていた。
死とは無であり、死体はただのモノにすぎない。
どれほど大切な相手でも、死んでしまえばそれまでだ。そう思っていた。
舞を失うまでは。
馬鹿なのは自分だった。
たとえ化け物といわれても滝川のことが気に入っていた。ののみのこともかわいかったのに、彼らが死んだときに感じたのは悲しみよりも喪失感だった。
死者は還ってこない。
なんの疑問もなく、その死を受け入れた自分。
悲しげな顔を作りながら、その死を悼むものたちを蔑んでいた。瀬戸口の慟哭に優越感さえ感じていた愚かな自分に吐き気がする。
そんな愚かな勘違いができたのは、舞が死ぬことなど考え付きもしなかったからだ。
可能性すら思いつかなかった。
舞は死んだ。舞は死んだ。舞は死んだ。舞は死んだ。舞は死んだ。舞は死んだ。舞は死んだ。
もうどこにも彼女はいない。
大破した士魂号を捨てて振り返ったとき、そこに舞の姿はなかった。
『…………』
舞の声が聞こえたような気がしたが、それは意味をなさなかった。
確かに聞いたはずなのに、どうしてもわからない。
厚志は絶望という言葉の意味を、本当には理解していなかった。
舞を残したまま、士魂号は爆発した。
スキュラのレーザーが直撃するのを、厚志はスローモーションのようにはっきりと記憶している。
舞の脱出装置は起動しなかった。
そのあとのことを、厚志ははっきりとおぼえていない。
どうやって戦場を逃れたのか、その後どのように日常を送っていたのか、わかっているのは舞を失った戦いで絢爛舞踏の勲章を手に入れたことと、もう演技の必要はどこにもないということだけだ。
「おまえにはもう、俺は必要ない」
その言葉を、ずっと待っていたような気がして、厚志はうっすらと微笑んだ。
来須の目を見つめ返すと、冷たい色をしながら雄弁な瞳が意思を込めているのがわかる。
壊れかけて半ば以上狂っていた厚志を今まで支えてくれたのは来須だった。
小隊司令となった厚志の命令を誰よりも忠実にこなした戦士の離反の言葉に、しかし裏切られたという感情はわいてこない。
この日が来ることをずっと知っていた。
いつかという日が、今日だった。ただそれだけのことだ。
「来須がいたから、俺は舞との約束を信じることができた。舞を永遠に失っていたかもしれないなんて考えると怖くなるよ。ありがとう」
舞との約束が厚志のすべて。舞が死んで、それを忘れそうになったことを、厚志は恥じている。
誓いこそがすべてだった。
舞は死んだ。死者を取り戻すことは誰にもできない。
それでも、舞はここにいる。
「おまえが生きるかぎり、誓いのままに戦い続けるかぎり、舞は俺たちとともにある」
「そうだね。オレたちは彼女を失ったりしない」
世界を変える。
世界の守護者になることを、厚志は舞に誓った。
そのために厚志が選ぶのは修羅の道だ。
もし舞がそばにいたなら、その道を選ばずともよかった。だが彼女が存在しないなら、もっとも効率的な手段は血の粛清しかない。
それを選んだ厚志にとって、来須は必要不可欠な存在とはいえなくなった。
もちろん来須が邪魔になったわけでも、言葉どおりに必要なくなったわけではなく、陰謀と粛清にはもっと適した人間が存在するというだけだ。
「希望の種は蒔き終わった」
来須は微笑みながら厚志の頬に触れ、そっと呟いた。
「俺は新たな世界に行く」
それが、来須と交わした最後の言葉だった。
戦況は芳しくなかった。
自然休戦期を間近にして、人類は優勢を勝ち取ってはいたが、それまでの被害を数えれば、とても勝利したとはいえない。
死者の列は長く、希望は遠い。
絢爛舞踏を経て、司令となった厚志は、隊員から遠巻きに見られていた。
変わったと彼らは言う。
滝川を失い。映を失い。最愛の芝村舞を失った厚志の変貌を始めは哀れみ、ついには恐れながら、恐怖の対象から完全に離れることもできない。
ある意味では、哀れなのは彼らも同じだと厚志は思っている。
この小隊に配属されたのが彼らの不運だ。
ここまで生き延びたのなら、最後までつきあってもらおう。すでに習慣となった冷たい微笑の影で、厚志はくくくっと嘲笑する。
誰も彼も、すべてが、舞の望んだ世界のための捨石だ。
「昨日でもなく、今日でもない、どこかのために」
ののみの言葉を思い返すと、少しだけ胸が痛む。
もう誰も厚志を咎めるものは存在しない。
来須も、舞も、ののみも……ここで得た失いたくないすべてを再び失った。
いや、彼らは厚志とひとつになったのだ。それはわかっている。
でも、ひとつになるということは、ひとりになることだ。わかりあえる喜びより、今は分かり合えない痛みのほうが切実に欲しいと願ってしまう。
傷つけあうということは、相手がいるということだ。自分以外の誰か。
だからこそ───。
「オレにはお前が必要なんだよ」
殺意さえ込めて自分を見つめる新たな絢爛舞踏に向かって、厚志は挑発するように艶やかに笑った。
それは、とても甘い痛み。
~ 苦い喜び ~
殺してやりたいと、何度思ったか知れない。
いつからこんなにも執着していたのか。もう瀬戸口には思い出せなかった。
そんなはずはないのに、最初に会ったときから、あの性悪なアラダを欲していたような気さえする。
狂ったように、何度も何度も何度も、厚志の肢体を貪りながら、瀬戸口の心は砂漠のように乾いていく。
死の舞踏として舞う日々に変わりはないのに、失った幼い巫女が与えてくれた安らぎと、青き闇を纏う魔王が与える地獄のような苦痛と歓喜はあまりに違いすぎる。
欲しいものはひとつだけ。
「それしか、ほしくないんだよ」
名前を口にできないのは、想いがあまりに強すぎるせいだ。言葉にすれば、それは呪になってしまいそうで、そのひとの名を呼ぶことはできない。
溢れ返りそうな心を言葉にしたら、少しは楽になれるのだろうか。
自分が本当に解放されたいのかさえ、瀬戸口にはもうわからなかった。
「なんのようだい?」
さっきから感じていた視線をわざと無視していた瀬戸口は、振り返りもせずに教室のドアの影から自分を見つめ続ける少女に声をかけた。
「誰を見ているんですか」
声が震えているのがわかる。ケンカ腰の口調はいつもと同じだが、きっと今彼女は泣きそうな顔をしているだろう。
「わたくしが、そんなに邪魔なんですか!」
「おまえさんは悪くないさ。けどな、もう忘れろよ。俺みたいなろくでなしのことは」
「わたくしは!!」
「壬生屋!!」
彼女の言葉を最後まで聞きたくなくて、瀬戸口は叫んだ。
どうして、この少女を愛せなかったのだろう。
千年もの間求め続けた魂を、瀬戸口は見分けることができなかった。
かつて愛した女性がそこにいるというのに、瀬戸口の心が痛むのは、過去の幻影に対してだけだ。
(俺は壬生屋を……愛していない)
それはあきらかに、瀬戸口の罪だった。
「故郷にかえれよ。おまえさんの身体じゃもう戦車にゃ乗れない。やっこさんは使える戦力にしか興味がないんだ。ここには戦えないものの居場所はない」
「……あなたが、絢爛舞踏になるとは思いませんでした」
「ははははは。適当に指揮してるほうが性に合ってるんだがな」
闇に紛れてあしき夢を狩っていた夜の顔と、適当でいい加減な明るい女好きのオペレータを装っていた昼の顔の二重生活は負担ではあったが、血に塗れた自分の本性を一時でも忘れられる安らぎでもあった。
ののみがいたから、鬼に戻っても正気でいられた。
あの幼い雨の巫女を失ったとき、瀬戸口は狂った。
狂気のままに、自分の欲望をもうごまかすことができなくなっていた。
「みんな変わってしまいました。この小隊も。あなたも、わたくしも……そして彼も……わからないんです。わたくしたちの、なにがいけなかったんでしょう」
「みんなが悪かったんだろ。誰もが力と想いが足りなかった。一生懸命やったなんて言い訳にすぎない。後悔するなとはいわないさ。俺もさんざんしたからな。ただ、どれだけ悔やんだって、やっぱり何も取り戻せたりしないんだから、おまえさんはよくやったよ。でもな、できる以上のことをしようとするな。……生きろ」
おまえさんだけでもな。
これはエゴだとわかっていて、それでも願わずにはいられなかった。
愛せなくても、壬生屋は大切な女性だった。汚すことのできない、神聖な存在なのだ。
瀬戸口のその思い込みこそが壬生屋を傷つけているのだとしても、唯一となってしまった聖域を、瀬戸口は守りたかった。
「俺はおまえさんが好きだよ」
「……嘘です」
「あのなぁ。最後まで黙って聞いてくれよ。二度とは言わないから」
視線の先にいる厚志の姿を消すために、瀬戸口は目を閉じた。
シオネ・アラダの幻影も消し去って、今までの壬生屋の姿を思い浮かべる。
「最初はかわいくない女だと思ったよ。素直じゃないし、意地っ張りだし、なんだか俺を目の敵にするしな」
「あれは、あなたが!」
「だから最後まで聞けって」
日本刀で切りつけられた日々が、あまりに遠い気がして眩暈がする。
「いけ好かないと思っていたけど、頑張りだけは評価してきたつもりだった。冷静に考えれば、おまえさんはすごくかわいいよ。いや、だから真面目に。素直じゃないとこも、いじっぱりなとこも可愛いと思うぜ」
「からかってるんですね。あなたはいつもそうやってわたくしを馬鹿にして……嫌われていてもあたりまえですけど」
「違うさ。俺もずっと勘違いしてたから仕方ないけどな。嫌いだと思ってたんだよ。ずっと俺はおまえさんを本当には見ていなかったからな」
ののみを失うまで、本当に瀬戸口は壬生屋の魂がかつて失った女性と同一であることに気がつかなかった。
「今は違うのですか」
「違うつもりだけど、どうかな。簡単に思い切れるようなら苦労はないさ」
未練など感じる資格は自分にはないのだから、彼女を解放しなくてはならない。
どうか、せめてあなただけは自由に。
過去の幻影に別れを告げて、瀬戸口は振り返った。
「壬生屋」
ああ、やっぱり泣きそうな、怒ったような顔をしている。
巫女装束は、彼女に本当に似合っている。
キレイだと瀬戸口は思った。
「俺はおまえが好きだった。だけど、愛してはいない。この先愛することもできない」
「わたくしは、瀬戸口さんが好きでした。ずっと……ずっと……」
手をひいて抱きしめると、壬生屋は声を上げて泣き出す。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい!」
壬生屋の謝罪の理由を瀬戸口は知っていた。
「おまえさんは、悪くない。悪いのは俺なんだ。俺が一番卑怯だった」
ののみのことを嫉んでいた壬生屋の気持ちを、嫌悪さえしていた自分を愚かだと思う。
彼女の死は誰のせいでもない。誰が悪いかというなら、それは瀬戸口のせいだった。
「ありがとう。おわかれだ」
こんな男を愛してくれて。
きっともう二度と思い返すことさえしない薄情な男など忘れてしまってくれ。
欲しいものは、ひとつだけ。
それは、残酷な魔王だけが与えてくれる、支配という名の苦い喜び。
それこそが、求めるゆいいつのものだった。
~ 求めるものは ~
狭いユニット式のシャワールームで、厚志は瀬戸口の腕の中にすっぽりと納まっている。
熱めのお湯が心地よいのか、瀬戸口に体重を預けて恍惚とした表情を浮かべる厚志の顎を上向かせ、強引に口付けると、差し込んだ舌を強く噛まれた。
「っつ! …ってー」
唇の端から流れる血はすぐにシャワーで拭われた。
少し恨めしげに見つめると、愉快そうな視線とぶつかり瀬戸口は憮然とする。
どうやら機嫌は悪くないらしいのに、この仕打ちはどうなのか。
「なにを考えていた?」
「なにって……あっちゃんのこと以外に俺が何を考えてるっていうんだ?」
厚志の表情に、滑らかな肌に、しなやかな肢体に、その存在自体に欲情したから口付けたのだから、他になんとも言いようがなくて、瀬戸口は眉を寄せた。
こういったことはよくあったが、いつも厚志の問いは瀬戸口には理解できない。
どれほど求めても、厚志は瀬戸口のものにならない。
この執着を愛と呼ぶのだろうか。
何かが違うと思うのに、溢れそうになる厚志への想いに付ける名を探したら、愛と呼ぶ以外に当てはまる言葉がなくて窒息しそうになる。
「ほしい。厚志」
今度は視線で許しを請うと、細い腕が首に巻かれる。
「その気にさせてみろ」
「御意」
やさしい気持ちしか抱けない彼女たちへの想いが愛じゃなくて、この凶暴なまでの欲情と独占欲と執着が愛だというのか。
こんな想いは間違っていると、何度も思うのに、狂うほどに愛しいのは、やはり厚志しかいない。
死んだ女にも、無口なスカウトにも勝てない自分の存在意義は魔王の犬という絶対の服従しかない。
この関係が自分を繋ぐ契約という名の鎖なら、自分でも真実かどうかさえ判らない身の程知らずな想いさえ告げなければ、互いが消滅するときまで飼われることができるだろうか。
ずっと自分を繋いでくれる相手が欲しかった。
ただそれは、厚志でなくてはならなかったのだと、苦い喜びの中で瀬戸口は至愛を捧げる魔王の唇に、忠誠を込めて口付けた。
瀬戸口はわかりやすい。
いっそ笑えるほどに。
契約を結んでから、どんなときでも瀬戸口は厚志の許しを得ずに行動にでることはない。
だから、突然口付けられたとき、瀬戸口が意識をどこかに飛ばしていることがわかった。
無遠慮に差し込まれた舌を噛み切ってやれば、悲鳴をあげてようやく厚志に視線をあわせた。
傷ついた瞳だった。
臆病で繊細な鬼は、またどこかで傷ついてきたらしい。
気に入らなかった。
瀬戸口を傷つけるのは自分だけでいいと厚志は思う。
もっと溺れてしまえばいい。自分にはもう瀬戸口しかいないのに、他の人間を想うことなど許さない。
舞を感じさせてくれたたったひとりのひとだった来須はもういない。
守るべきものが、遠い果てにある約束しかないのなら、忘れないための痛みがほしかった。
その甘い痛みを与えてくれるのは瀬戸口だけだ。
狂気のままに厚志だけを欲する瀬戸口に愛しささえ感じる。
もっと欲すればいい。
そしていつか厚志のことしか考えられなくなったら、きっと自分から離れることなどできなくなる。
咥内を蹂躙する血の滲む舌を愛しむように舐めると、厚志はうっとりと微笑んだ。
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別サイトで1000番を踏まれた浅葉さまに捧げるSSです。
すれ違っているでしょうか?
私の書くふたりには意思の疎通がないので、いつでもすれ違っているという意見もありますが。
リクエストありがとうございました。
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