ランサーがアーチャーのことを好きなことは士郎も知っていた。
だけどそれがどういう意味なのかは、本当にはわかっていなかった。
ふたりがキスしているところを見るまでは。
遠坂家の住人は、全員がかなりの確率で衛宮家に出没して勝手にくつろいでいる。
士郎としては、セイバーにも凛にも文句はないが、アーチャーにちょっかいをだしては軽い戦闘状態に陥っているランサーの存在が悩みの種だった。
朝から釣りに行って、新鮮な魚を貰っている身としては、はっきり邪魔だとはいえないが、気分が悪いのは確かだった。
ランサーはアイルランドの英雄だ。
アーチャーや凛に駄犬と言われようが、士郎から見れば嫉妬するほどかっこいい。
アーチャーだけでも毎日自分の未熟さを思い知らされているというのに、二人並ぶと実力が拮抗しているのがわかって、なんともいえず悔しい気分になる。
ふたりが連れ立っていると、それだけで絵になるのだ。
それに、ランサーが周りを憚らずアーチャーに懐いているのが、士郎は嫌だった。
うらやましいわけではないが、アーチャーはお前のものじゃないと声を大にして言いたくなる。
もちろん言える訳はないのだが。
何度も抱き合っていながら、アーチャーとどうなりたいのか士郎はいまいちわからない。
口を開けば皮肉ばかりだし、アーチャーの思考回路はまったく理解できない謎次元だ。
あれだけ士郎を貶しておきながら、何故自分に抱かれることを甘受しているのかもわからない。
そこまで考えて、士郎はうずくまった。
ついうっかり夜のアーチャーを思い出してしまい、映像が下半身を直撃したらしい。
若いということは色々大変なのだった。
物理の公式を思い出して耐えた士郎は、よろよろしながら台所に向かった。
凛たちにお茶を入れるためだ。
そこでクッキーを焼いているはずのアーチャーに声をかけようとして、士郎はそのまま凍りついた。
そこには触れるようなキスシーンを繰り広げているアーチャーとランサーの姿があった。
その場で士郎は逃げ出してしまった。
口付けされている。
目の前に迫る男の顔を、アーチャーは冷静に観察していた。
秀麗な男だと思う。
思ったよりも睫が長い。
青く長い髪は、この男の白い肌によく似合っている。
女ならさぞかし胸を焦がす瞬間だろうが、生憎自分は女ではない。
アーチャーは抵抗もしなかったが、応じたりもしなかった。
抵抗しないのは不思議だったからだ。
応じないのは理由がないからだ。
単に好奇心から、アーチャーはされるがままになっていた。
「キスするときは瞼を閉じるものだぜ」
「本意ではない状況で瞼を閉じるもないものだ。何がしたいんだね君は」
「ずっと言ってるだろ。俺のものになっちまえよ。その方がお前にとっても楽だろ」
「君の言葉はいつも理解に苦しむな。たわごとしか言えない舌なら必要あるまい。私が切りととってやろうか?」
アーチャーが座に戻ってからも、嫌、聖杯戦争のただなかでも戯れのように自分に触れてくるランサーの隠した真剣さがアーチャーには不可解だった。
お前に惚れたというランサーの言葉を、アーチャーはまったく信じていない。
光の皇子たる半神の英雄が、もとはできそこないの魔術師である、ただの人間だった反英雄たる自分にこだわる理由がない。
「こんなところで君が触れてくるから、小僧に見られてしまったではないか」
士郎の気配なら隠していてもすぐわかる。あの少年は目の前の光景にさぞかし驚いたことだろう。
士郎がそれをどう思ったかは気にならないアーチャーだった。
「見せつけてやったんだよ。お前が誰のものかを坊主も思い知るべきだろ」
「少なくとも君のものではないのは確かだ」
「まさか、坊主のものだとでもいうんじゃねーだろうな」
それこそまさかだ。
アーチャーはアーチャー自身のものですらない。
アーチャーは世界のものだ。それが世界と取引した代償なのだから。
世界の掃除屋として、磨耗しながらもアーチャーは存在している。
誰かのものになれる権利など、アーチャーにはあり得ない。
ただ召喚されているときのサーヴァントを所有格で語れるのはマスターのみだ。
その意味では、アーチャーの身は士郎のものといっても間違いではない。
「君がどう思うのも勝手だがね。私は君のたわけた言動に付き合う気はないことを、何度も言わせないで欲しいな」
「いつか本気にさせて見せるから見てろよ! って、どこいくんだよ」
「クッキーと紅茶を凛とセイバーに持っていくに決まっているだろう。ここで私が何をしていたと思っているんだ。すぐにイリヤスフィールもくるだろうしな」
「最大のライバルは坊主より嬢ちゃんたちのような気がするな」
「またたわけたことを。君の分はないからもう帰れ」
「マスターを置いて帰れと?」
「小僧に話があるのだろう。勝手にしたまえ」
「はあん。じゃあ、そうさせてもらうわ」
そう言って、青の槍兵は姿を消した。
紅茶セットとクッキーをお盆に載せて、アーチャーはため息をついた。
ランサーの言葉は信じられない。
だが、確かにランサーのものになれるのなら、自分はもっと楽だろうというのもわかる。
しかし、どうしようもないことというのは歴然としてあるのだ。
だから、自分がランサーのものになる未来はあり得ない。
少なくとも衛宮士郎をマスターに持つ以上は、ランサーの手をとるつもりはなかった。
士郎と自分の間にも答えは欲しくなかったけれど。
アーチャーはただ、少しばかりの猶予だけが欲しかった。
外まで逃げてしまったが、士郎は戻ろうかどうしようか迷っていた。
ランサーとアーチャーのキスシーンはショックだったが、アーチャーが応えていなかった事は士郎にもわかった。
ただ拒んでもいなかったことも確かだ。
そうじゃなければ、今頃UBWが発動されているだろう。
アーチャーの性格からすれば、ランサーを拒んでも受け入れても、どちらもおかしくない。
ランサーと自分を比べることなどおこがましいとわかっていても、アーチャーをランサーに取られるのは許せない気がした。
「よ、坊主。どこに行くんだ」
「ランサー?」
士郎はランサーを睨みつけた。
心で負けるのは嫌だった。
ランサーは面白そうに士郎を眺めていた。
「なぁ、坊主。俺はあいつをもらうぜ」
「アーチャーはお前のものになんてなるもんか。ふられてばっかのくせに」
「俺は気長に行くことにしてるんだよ。坊主こそ未来の自分相手に不毛なだけだろ」
「俺はアーチャーにはならないよ。それに、たとえ同一の存在だったとしても、俺がアーチャーを好きなことに変わりはないんだ」
「あいつは、あれだけ大切にしていた嬢ちゃんさえ裏切った。マスターとサーヴァントの関係だって絶対じゃないんだぜ」
「そんなの問題じゃない。俺がアーチャーを欲しくて、アーチャーが誰を欲しがっているのか、、重要なのはそれだけだ」
「けっこう自信があるんだな。まあ俺も焦んないから勝負はじっくりいこうぜ。ま、今日のところは引いてやるけど、油断はしねーことだな」
ランサーが去った後、やってきたイリヤと士郎は茶の間に戻った。
何もなかったようなアーチャーを見ながら、何度も考えてしまう。
自分は本当にアーチャーが好きなんだろうか。
アーチャーに対して持っている感情は、言葉にできないものだ。
凛のことはなんとなく好きだと思うし、守りたいと思う。
セイバーのことは純粋に好きだし、信頼している。
イリヤのことも桜のことも大切にしたいと思う。
でもアーチャーに対するこの独占欲はなんだろう。
彼女たちに向けられる好意に対して、アーチャーに向かう感情はどこかほの暗いものを含んでいる。
でもアーチャーを奪われることは許せないと思う。
それだけは嫌だった。
「じゃあね、士郎、アーチャー」
「お邪魔しました」
「バイバイ。またね」
全員がいなくなった茶の間で、士郎がぼーっと座り込んでいると、背中からアーチャーがキスしてきた。
触れるようなキスから、深い口付けを繰り返すと、いつの間にかアーチャーを押しすような体勢になっていた。
何を望まれているのか、考えなくても分かる。
だが、今日はアーチャーに聞いてみたかった。
「アーチャー。あんたなんで俺とこういうことするんだ」
「何を今更。これはただの欲望だ。意味などない」
「違うだろ。少なくとも俺は違うと思う」
「欲望だということにしておけ。余計ないことは、今は関係ない」
「アーチャー!」
「うるさい」
士郎の言葉は、アーチャの唇で塞がれた。
深い口付けに溺れて、そのままふたりは身体を重ねた。
意味などいらない。
ただ欲しいという気持ちだけがあればいいと、アーチャーは士郎との行為に没頭した。
夜ははじまったばかりだった。
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