聖杯戦争の癖か、見張る必要もないのに、なんとなく屋根の上に上がってしまう。
むしろアーチャーのクラスとしての性だろうか。
弓を射るには、高い場所の方が有利なのは自明の理だ。
鷹の目と称される鋼色の瞳は、かなり遠方の小さな的さえ見分けることができる。
聖杯戦争の折は、毎日のように屋根の上で見張っていたのものだ。
私はあまり夜明けが好きではない。
いや、好きなのだろうか。
ただ、地平線から太陽が昇ってくる瞬間、なんともいえず落ち着かない気分になる。
夜と朝の狭間で、私は己の居場所を見失う。
それはどこか彼に似ている。
夜明けを見るたびに思い出す面影がある。
ランサー。君は騒々しい夜明けに似ている。
ランサーに惹かれないのかと言われれば、そんなことは言われるまでもない。
彼に惹かれずにいるなど不可能だ。
太陽神とアルスターの王女との間に生まれた光の皇子。
生まれながらに英雄になると予言され、予言どおりに英雄となり、その名に相応しい死をむかえ、死んだ後まで正しく英霊たる存在に、世界の掃除屋たる自分が焦がれずにいられるわけがない。
だがそれが恋愛感情に結びつくわけではない。
私はただ彼に嫉妬し、憧れているだけだ。
だから衛宮士郎の言葉は、私には不可解なだけだった。
「アーチャー、あんたランサーのことどう思ってるんだ?」
どう思ってるも何も、聞かずとも分かるだろう。
「貴様がランサーをどう思ってるのかと変わらんと思うが」
「俺とあんたじゃ違うだろ! 色々とさ」
「同じだと思うがな」
「俺はランサーなんか好きじゃないぞ」
「私も別に好きじゃないが」
「だったらどうして……」
そこまで言って、衛宮士郎は赤くなって口ごもった。
ああそうか。
「ようするに、好きでもないのにどうしてセックスするのかと聞きたいのだな」
「ぶっちゃけ過ぎだろ!」
「パスで繋がってるのに、今更恥ずかしがることもあるまい。あんなものは単なる魔力の交換だ。好意などなくても必要に応じればできるものだ」
「でも嫌じゃないんだろ。それにそんなに必要があるとも思えないんだよな」
確かに必要があるわけではない。
いつもいつも、相手が求めてくるのを抵抗しないだけだ。
それは好きだからじゃない。
極上の魔力の誘惑に勝てないだけだ。
それに正直言って、ランサーとのセックスは癖になる。
抱かれる経験は豊富といってもいい私からみても、彼は上手いし、獣のように無茶苦茶にされるのは嫌いじゃない。
ランサーは私を抱くたび好きだという。
その言葉を信じることはどうしてもできない。
彼は私が嫌いなはずだ。
聖杯戦争のときもそう言っていた。
正しく英雄たるランサーには、私のような自虐的な反英雄など存在自体が苛つかせる原因だろうと思うのに、私にかまうのは彼なりの遊びなのだろうと思っている。
「嫌いじゃないと、好きの間には、海より深い溝があると思うのだが」
だいたい魔力供給を受けているのはいつも私のほうなのだから、小僧には関係なかろうと思うのだが、凛といい小僧といい、ランサーと私を両想いにさせたがるのは何故だ。
凛がランサーと寝るなというならわかる。
私がランサーから受け取っている魔力は、結局は凛のものだ。
なのに、ランサーが可哀相だと私が責められるのだ。
私を好き勝手にしている奴のどこが可哀相だというのだ。
今はマスターとはいえ、半人前の小僧までが私を責めるような眼で見るのはなんだというのだろう。
「あんたたちには、決定的にコミュニケーションが不足していると思うぞ」
「コミュニケーションなら、ほぼ毎日しているような気がするが」
たまには素直に事実を伝えてやると、衛宮士郎はため息をついて首を振った。
小僧のくせに生意気な。
「たまには、言葉を使えよ。動物じゃないんだからさ。戦闘とそういう行為だけしかしてないんじゃないか」
「貴様には関係なかろう。だいたい仕掛けてくるのは、どちらも奴の方だ。私のせいじゃない」
言葉を切って視線を逸らすと、衛宮士郎は深くため息をついて立ち上がった。
何故か知らないが、怒っているのがわかる。
理不尽だ。
小僧が腹を立てるのはかまわないし、普段なら愉快なぐらいだが、それにランサーが関わってくるのは納得がいかない。
不満だったが、それを悟らせたつもりはないはずなのに、衛宮士郎は子供にでも言い聞かせるように、私に向かって言葉を重ねた。
「俺は遠坂の家に泊ってくるから、あんたはランサーとじっくり話し合ってくれ」
「待て、衛宮士郎! 女性の、それも魔術師の工房に約束もなしに泊り込もうとは、どういう了見だ!」
腹立たしいというか、何故そうなるのかわからないが、凛と小僧が師弟関係であり、恋人同士であることも理解しているが、それはやはり配慮に欠けるというものだと思い、私は衛宮士郎を咎めた。
サーヴァントとして凛に召喚されたとき、はじめて私は遠坂凛の真価を知ったが、最高のマスターとして凛を見ることはあっても、当時の私の微かな記憶の中で、遠坂という存在は特別な意味をもちはしても、恋愛に繋がるものではなかった。
だから、セイバーではなく凛を恋人に選んだ衛宮士郎は、本当に私とは異なった存在となったのだと思う。
そんな私の内心を知らず、小僧はこともなげに言い放った。
「約束ならしてるぞ。遠坂もセイバーも、ランサーとあんたには話し合ってもらいたいと思ってるしな」
「奴と話し合うことなど何もない」
「嘘だろ。どうしてだか知らないけど、あんたランサーのことになると逃げてばかりじゃないか」
それって逆に意識してるって事だろと言われて、私は言葉を返せなかった。
そんなことはないと言いたいのに、言葉にならない。
それは小僧の言葉を肯定しているということだ。
だがそれは本当に違うのだ。
それでも何が違うのかを言うことはできなかった。
誰もいなくなってしまった居間で、私はぼんやりと未熟だった過去を思い返した。
あの鮮烈な青い閃光。
磨耗した記憶の中で、彼女の存在と同じほどに忘れられない死の瞬間の記憶を、聖杯戦争中、何度も何度も繰り返し思い返していた。
サーヴァントになって、彼と再び邂逅したときの感情は、紛れもない喜びだった。
エミヤシロウの記録の中で、ランサーは自分を最初に殺した男として擦れようもなく記されている。
かつては、恐怖の対象でさえあった男と互角に戦える喜びと、憧れの存在に再び会えた感動。
それほどまでに、ランサーの存在は私の中で鮮やかだった。
でもそれは恋じゃない。
高潔な騎士王に恋焦がれたような、そんな綺麗な想いでは彼のことを語れはしない。
セイバーを愛していた。
彼女の鞘としてふさわしい生き方をしたかった。
あの記憶が私を生かし、私を定義した。
私は今でも自分を嫌悪し、かつての生き方を唾棄すべきものだと思っているが、セイバーを愛したことを後悔したことはない。
偽物ばかりで何ひとつ本物を持たない私にとって、彼女の存在こそが真実の光だった。
今では彼女への想いは信仰にも似た私の存在の中心となり、現実の少女への恋は思い出に昇華された。
だから、今もセイバーを愛しているとはいえない。
磨耗しているせいではなく、私はもう愚かで未熟ではあったが純粋だった衛宮士郎ではないということだ。
セイバーの変わらない高潔さに、敬意を表することはあっても、かつてのように恋焦がれることはない。
聖杯戦争の間、セイバーのことよりも、ランサーのことばかり考えていたのは本当だ。
彼と戦うのは血が沸き立つようだった。
ルビーのような、その赤い瞳に魅了された。
彼は正しく英雄だった。
どうして焦がれずにいられるだろう。
それでも、これは恋じゃない。
私はランサーの心が欲しいと思ったことはない。
彼の敵でありたかった。
自分が彼を本気にさせるほどの存在であると思えるときだけ、自分にも価値があるように思えた。
私がランサーに向ける感情は、凛や小僧が思うよりも複雑で醜いものだ。
そんなのものを、私は恋だとは認めない。
「よ! 待たせたか?」
「たわけ。はじめから待ってなどおらん」
能天気に声をかけてきた男を、私は睨みつけた。
この男は人の警戒心を削ぐ。
生前誰からも愛された彼は、愛されることに慣れている。
そんなところも、私が苦手なひとつだった。
「今日は何をしに来たんだね。凛に何を言われたか知らないが、私は君と話すことなどないぞ」
私の言葉がただの虚勢だということは、すでに彼には知られてしまっている。
聖杯戦争中は彼を怒らせてばかりだったのに、今では彼はすっかり私に慣れてしまった。
だから困惑したような彼の表情に、わずかにこちらを面白がっている雰囲気があることもわかっている。
少しだけ腹立たしい。
「いや、別に嬢ちゃんに言われたからじゃないけどな。お前全然わかってないから、ちょっと真面目にくどこうかと思って」
「男をくどいて何が楽しいのかわかりかねるが、冗談なら聞き飽きたな。君なら相手などいくらでもいるだろう。その相手を思う存分くどいてくれないかね」
「あのな。俺は、お前をくどきたいんだよ」
肩をすくめると、ランサーは笑いながら私の頬を撫でた。
猫でも撫でるように、彼の大きく美しい手が私の頭や顔を彷徨っている。
駄目だ。気持ちがいい。
いやだと思わなくてはならないのに、この男の手はあまりに温かく、私を乱していく。
「やめてくれ、ランサー!」
叫びながらも、私はこの手を振りほどけない。
気まぐれに優しくしないでくれ。
私はただ、君に引き裂くように抱かれたいと醜い欲望を抱いているだけだ。
ああ、いっそ私は君に殺されたい。
価値ある君に殺されたなら、私にも何かしらの価値が生まれるかもしれない。
優しい手などいらない。
それは私を弱くする。
好きだなどと戯れを言わないでくれ。
その言葉は私を混乱させる。
認めよう。
私は君が好きだ。どうしようもなく、君が好きでたまらない。
でも、これはやはり恋ではないのだ。
空っぽの私は、君が望むものなどひとつも持ってはいないのに、これ以上私から何を奪おうというのだ。
「お前、甘えるって事を知らないで生きてきたみたいだからさ。おとなしく俺に撫でられてろよ。ここはもう、戦場じゃねぇんだ。俺がお前を甘やかしてやるよ」
「そんなことを誰が頼んだ!」
「俺がそうしてやりたいだけだって。気まぐれでも、からかってるわけでもねぇよ。俺はただ、お前に惚れてるだけだ」
「嘘だ……」
そんな嘘など認めない。
彼が私に惚れているなどあり得ない。
そんなことを認めれば、君が穢れる。
だから私は君の言葉を決して認めない。
「人の告白を嘘にするなよ。怖いのはわかるけどな。誰にも理解されずに生きて、裏切られて死んだんだろ。今更誰かの手をとるのは、怖くてたまらないよな」
何故彼がそれを知っているのかと愕然として、よく考えてみれば私は何度も彼に抱かれているのだ。
通ったパスから記録が流れたのだろう。
私にはもはや閲覧できない記録だ。
磨耗した記憶の中に微かに残る、遠い記録。
それを彼は知っているのだ。
ならば、私以上に、彼は私を知っていることになる。
誇りなきこの身でも、それはなんだか居心地が悪かった。
「君は私が嫌いなんじゃなかったのか」
私の態度が気に喰わないと、何度も突っかかってきたのはこの男の方だ。
なのに、本来ならあり得ない他人の座への侵入をはたして、私にかまい続けている。
彼の態度の変化が、ずっと私には理解できなかった。
「感情ってのは変化するもんなんだよ。たとえ、座に記録されるだけの記憶でも、俺はお前に触れたいと思ったことを忘れなかった。だからお前の座を探したんだ」
「君はおかしい」
「お前に触れられるなら、おかしくって結構だね」
俺のものになっちまえよと言いながら、私の服を脱がしていく男を、私は絶望的な想いで黙って見ていた。
これは何度目の口付けだろう。
全身への愛撫の合間に、ランサーは何度も私に口付ける。
舌を絡め、唇を甘噛みされると、身体がほどけてくるのが自分でも判る。
足の指を嬲られて、私は小さく呻いた。
「や……ランサー!」
そんなに丁寧に扱わないで欲しかった。
壊れ物を扱うように、愛しいものを愛でるように、優しい愛撫は私をかえって傷つけた。
君にこんなことをさせたくない。
私は欲望を満たすためのただの道具でいい。
道具であるなら、心などなくてもいいのだから。
心などあるから、惨めになるのだ。
私の中心を探る手を、思わず握って止めてしまった。
ランサーにそんなことはさせられない。
「私がやるから、そこはいい」
「お前にしてもらうのは、、すげー気持ちいいけどよ。たまには俺にもお前を可愛がらせろよ」
そう言うと、彼は私の両手を胸の上で繋ぎとめ、私自身を口に含んだ。
経験したことのない感触に、身体が震えた。
生前の性交渉などほとんど覚えていないが、これは未知の経験だと身体が教える。
ランサーの行為は、おそらく巧みとはいえなかったが、口に含まれ転がされる視覚的効果だけでも私は弾けてしまいそうだった。
「そんな泣きそうにするなよ。いいから、俺に甘えて楽しめ」
「勝手なことを!」
彼の口でいきたくない一心で必死に耐えたが、我慢できずに彼の口の中に放ってしまったときは、なんとも言えない罪悪感でいっぱいになった。
楽しめなんてとんでもない。
彼を汚すような行為を私が喜べると思うのか。
「あのな、お前俺に夢見すぎなんだよ。卑屈もいい加減にしないと嫌われるぜ」
「それこそ、本望だ」
「お前って、可愛くなくって、本当に可愛いな」
「たっ……たわけ! 何を言って……」
「いいから、いいから」
誤魔化すように、私の頭を撫でると、ランサーが私の両足を持ち上げて胸に押し付けた。
熱い塊が身体の中に押し入ってくる瞬間は、気持ちが悪くて気持ちいい。
彼の形を、もう身体が覚えてしまった。
波のような快感が襲ってくるのを、やり過ごそうとして失敗した。
「あっ……んっ……やぁ……」
「すげ。きつ」
彼が内部からある一点を突くたびに、ぎゅっと力が入って締め付けてしまう。
そのたびに、彼の形がはっきりわかって、私をやり切れない気分にさせた。
彼を逃がさないように締め付ける自分が、淫らで浅ましいと思う。
だけど、彼が与えてくれる快楽は、底がなくて、あまりに気持ちがよかった。
溢れた唾液を舐める舌の動きにたまらなくなって、私はランサーの首に手を回した。
愛なんていらない。
だけど、私は彼に抱かれたかった。
この瞬間に死にたいと、彼の熱い飛沫を身体の奥で感じながら願った。
行為の後は、ひたすら眠い。
魔力を消化しきれなくて、身体が熱かった。
眠りに落ちる前に、ランサーが何度も繰り返した言葉を耳に囁いた。
だから私はこう答えた。
「君は夜明けに似ている。だから苦手だ」
これは恋じゃない。
でも、私は君を愛している。
だから君の言葉を受け入れることはできない。
そんなことをすれば、君が穢れてしまうから。
君は私を照らす光。
だけど、私はそれを君には言わないだろう。
目を覚ませば、騒々しい夜明けが待っている。
君に似た朝の光を浴びて、だけどもう私は居場所を見失うことはないだろう。
君がいる場所が、私のいる場所なのだから。
決して、君には告げないけれど。
そうして私は眠りについた。
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