――――――12月16日
龍麻は昨日のワカメ頭のオヤジの言葉を思い返していた。
何かが始まろうとしている。
それは、間違いなくあの電波が発端に違いないが、鳴滝の言葉は忠告にもなにもなっていない。
具体的なことは何も話さず、異変に近づくなもないだろう。
(単に思い出話がしたかっただけか、あのオヤジ)
鳴滝が思っている以上に、龍麻は自分に課せられた運命とやらを知っている。知りたくはなかったが、無知が許される環境ではなかった。あの男こそ、緋勇という一族の意味を知らない。
実父の遺言とやらも想像はついていた。
平凡に生きろと、そういうことだろう。
言われるまでもなく、龍麻はそれを目指している。本当は、それがいつまでも許されることではないのだとわかっているからこそ、時がくるまでは、平凡を貫くきだったのだ。
短い間でも、麻麟とふたりで、平穏な日々を味わいたかった。
本当に、そのためならなんだってできたのに──────。
「緋勇───」
八つ当たり気味に、鳴滝に怒りを燃やしていると、後ろから声をかけられた。
本当は気配でわかっていたのだが、気がつかないふりをしたかった相手だ。
「おすっ。」
やはり比嘉だった。
龍麻はどうにもこの男が苦手だった。
鈍感でお節介なこの手のタイプは、悪気もなく不用意に相手のテリトリーに侵入しようとする。
この悪気のなさというのが一番始末が悪い。
「また会えたな。今までお互いに、顔も知らなかったのに……、不思議なものだな」
豪快に笑う比嘉を、龍麻は半ば飽きれながら能天気そうな顔を眺めた。
C組は東階段の真ん前だから、東端のA組に行くには必ずC組の前を通る。
今までだって何度となく互いにすれ違ったはずだが、何の接点もない他クラスの男子生徒を意識するほうがおかしいのだ。
いくら龍麻が平凡を装っていたからといって、顔見知りになれば、毎日顔をあわせても不思議ではない。
(こいつも、日常に運命を感じるタイプかよ)
偶然も縁のひとつではあるが、日常のすべてを不思議にしてしまう運命論者が龍麻は真剣に嫌いだ。
比嘉はそこまで染まっていないようだが、素質は十分と見える。
龍麻が黙っていると、比嘉がとんでもないことを言い出した。
「おっ、そうだ。放課後喫茶店でも寄ってかないか?俺と君の友情の証に……さ」
真剣に寒気がした。
(ちょっと待て! 俺とお前がいつ友人になったんだ? 昨日知り合ったばかりの他人だろうが! いいとこ知人だ。だいたい友情の証ってなんだ。証って。そんなもの俺たちの間には欠片もねぇよ!)
「何なら、さとみも誘って───」
「離して下さいっ!!」
具体的に比嘉が話を進めようとしたとき、廊下に女生徒の声が大きく響いた。
「あ……あの……。離して下さい。」
「あれ……緋勇のクラスの女子じゃないか?」
比嘉の言葉どおり、数名の男子生徒に囲まれ手を引っ張られているのは、昨日石田を止めていた鵜沼だった。
「いいから来いよ。莎草さんが、呼んでんだよ」
「きゃっ。止めて───。」
「ちっ、何で誰も助けてやらないんだ?」
それは、少年たちの様子があまりに異常だったからだろう。
比嘉は気がついていないようだが、彼らの行動には、どこか追い詰められた焦りが感じられた。
それでなくても、明日香学園は一応は進学校で、荒事に向いている生徒はいない。
女生徒の災難を遠巻きに見るのが精一杯だろう。
龍麻は状況を観察した。
まだ自分が動く段階ではないと判断したのだ。
「おいっ!」
予想通り、比嘉が鵜沼を引っ張る生徒の手を振り解いた。
いきなり手を振り払われた生徒は、不審そうに比嘉を見た。
何故そんなことをされるのか、わかっていない顔だ。
「何やってんだよ、嫌がっているじゃないか。」
「比嘉くんっ」
鵜沼は比嘉を知っていたらしい。
龍麻は知らなかったが、比嘉はその熱血お節介で、校内ではけっこうな有名人だ。
素直に感銘を受けている生徒もいれば、龍麻のように苦手に感じているものもいる。
それでも、まったく比嘉を知らない人間の方が珍しい。いかに普段他人をどうでもいいと龍麻が思っているのか、これだけでもわかろうというものだ。
「比嘉……」
「その手を離せよ……」
「…………」
「離せって───」
その男子生徒は、比嘉を苦手には思っているようだが、反感を抱いているわけではなさそうだった。
不満そうにしながらも、一度は手を離し、比嘉と向かい合う。
「ちっ……」
「まったく何やってんだよ。まぁ、昔から嫌よ嫌よも好きの内とは、いうけどさ──、こういう場合は、ちょっとマズイんじゃないの?」
(オヤジかお前は)
内心で龍麻は嘆息した。
複数の男子生徒が女生徒一人を連れて行こうとしているのが、単純に恋愛が絡んだ話のはずがない。
ピントの外れた発言には脱力するが、比嘉に任せた方が話は上手く聞き込めそうだった。
平凡を装ってきた龍麻がここで出るのは不自然だし、彼らを警戒させるだけだろう。
昨日の件からも、もう平和な日常というヤツを諦めかけている龍麻だったが、だからこそ今まで以上に慎重に振舞う必要があった。
敵に手の内を晒すのは、今はまだ不味い。
「莎草さんが、連れて来いっていってるんだ……」
「莎草が……?」
(やっぱり、あの電波か)
普段の鵜沼から考えて、まず複数の男子と一度にもめる要素が存在しない。
考えられることといえば、莎草に石田が突っかかっていった時に鵜沼がいたというそれだけしか考えられない。
普通なら、逆恨みの対象は石田だけだろうが、電波系の考えははかりしれない。
「来い───っ!!」
突然別の男子生徒が、鵜沼の腕を掴んだ。
「きゃっ」
「ちょっと、待てって」
「どけ、比嘉───」
「どけといわれて、どく訳がないだろ?どうしたんだよ、いったい。何で莎草の言いなりになってんだよ?あいつに何か、借りでもあるのか?」
事情はわからなかったが、龍麻は思った。
(電波はうつるんだよ)
電波系の真の恐ろしさは、その言動よりも、感染性にある。
まともに相手をしようとすると、いつの間にか自分も不可思議空間に巻き込まれてしまうのだ。
彼らの前で自分を保つのは、容易なことではない。
「あいつは……、怖ろしい奴だ」
「はぁ……?」
わけが判らないといった顔で比嘉は呆れたようだったが、龍麻のほうこそ比嘉に対してあきれ返った。
(まず見た目でわかるだろう! あいつが怖ろしいってことぐらい!!)
偏見である。
しかし、この場合、龍麻の偏見はあたっていた。
「あいつには……あいつには、誰も逆らえない」
比嘉の顔はますます不可解さで歪んでいた。
「いずれ、お前にもわかるさ……あいつの怖ろしさが───」
「……何をいいたいのかわからないが、とにかく、彼女は、こっちに返してもらうぜ」
(あいつらの言いたいことがわからないお前の方がわからないぜ)
龍麻とて、莎草が彼らに何をしたのかまではわからない。
それでも、電波の怖ろしさを身もって知ったからこその忠告だということは、誰にでもわかることだろう。
単に莫迦なだけなのか、天然記念物並みの鈍感なのか、微妙なところだ。
「ちっ」
「まったく───」
「くそっ……」
どこか怯えながら、三人の男子生徒は、その場を逃げるように立ち去った。
「あっ、おいっ───、行っちゃったよ……何だあいつら」
「あ……ありがとう、比嘉くんっ」
少し涙ぐんではいたが、鵜沼は比嘉にお礼を言った。
「あぁ。大丈夫だった?」
「えぇ」
「どうしたんだ?」
「……わからない。何かいきなり、一緒に来いっていわれて……。怖かった……」
「そうか……」
ふたりは、しばらくの間沈黙した。
この一連の騒ぎは、当事者にとっても、傍観していたものにも不可解すぎた。
「ホントにありがと」
「ん……あぁ」
「それじゃ───」
足早に鵜沼は立ち去った。
他の生徒に奇異の目で見られることにも耐えられなかったのだろう。
無理もない。
「ん……?」
比嘉は、その時ようやく自分たちを見つめる、細身の少年に気がついたらしい。
龍麻は、ことの最初から気がついていた。
だからこそ、観察に徹したのだ。
それは、鵜沼や男子生徒たちだけではなく、後ろの気配を探っていたのだ。
「莎草……?」
オレンジ色の頭に、細い三つ編みとターバンというあり得ない少年は、含み笑いをしながら去っていった。
「あいつ……、何を見てたんだ?」
(お前たちに決まってるだろうが! 今の状況なら、あいつでなくてもお前らを見るだろ)
一言何かを言ってやらねば、さすがに気がすまないと、龍麻が口を開こうとした瞬間、チャイムが鳴った。
「おっ───じゃ、また後でな。緋勇───」
こちらの反応も見ずに、比嘉は爽やかに去っていった。
一連の出来事がなかったかのようだ。
「……人の話を聞きやがれ……」
それにしても、莎草は何をしようとしているのか。
それよりも、何ができるのか。
そっちの方が、龍麻は気がかりだった。
(忠告するならきちっと言えよ、オッサン)
ただの電波なら避ければ済む。
だが、莎草が龍麻のように特殊な《力》の持ち主なら、相手の能力を知らずに対策は立てられない。
臨機応変がモットーの龍麻だが、無謀な行為は嫌いだった。
本当に自分が関わりさえしなければいい相手なのか。
鳴滝の言葉を、龍麻は信用していなかった。
関わらせたくないといいながら、あのオヤジは龍麻に何かを期待している。
それがわかるからこそ、余計に腹立たしかった。
その時の龍麻には、まだ迷いがあった。
腹を決めて運命と本気で戦うより、麻麟を守って平凡に生きたかった。許されないと知っているからこその夢だった。
もう少しだけ、その夢を見ていたかったのだ。
だからこそ、このとき龍麻は気がついて当然の事実から無意識に目をそらせた。
そう。無意識だったのだ。
それでも、この時の自分の甘えを、龍麻は生涯忘れることがなかった。
いっしょにいただけの鵜沼が狙われたのなら、莎草に暴言を吐いた石田はどうなるのか、そのときの龍麻は考えつかなかったのだ。
これから起こる惨劇を、龍麻はまだ知らなかった。
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