「悟淨の好みって、わかりやすいですよね」
「……なによそれ」
「そういえば、身近にぴったりのひとがいますけど」
「話がみえねえんだけど? それは新手のいやがらせかよ」
「ゴミ当番を忘れたことなら、最初から期待してませんから、気にしてませんけど?」
「……すいません。申し訳ありませんでした。以後気をつけます―――だからよ! さっきからなんなんだよいったい!」
「だから、悟淨の好みのタイプですよ。気の強い美人……でしょう?」
「おい」
悟淨は渋面で八戒を睨んだが、八戒の笑顔には一部の隙もない。
「間違ってませんよね……僕」
さわやかな笑顔が寒すぎる。
悟淨は、なんだか悪夢にはまり込んだような気になって天を仰いだ。
(ああ、いやんなるぐれえ空が青いぜ)
太陽が眩しすぎて、悟淨はそのまま目を閉じた。
告白
悟淨は最近くさっていた。
ナンパにまったく気が乗らないのだ。
女の好みにうるさい悟淨としては、適当なとこで済ますのは、女好きとしての沽券にかかわると、妙なプライドを発揮して自ら機会を失っていたが、それでもむきになってなって好みの女性を探していたのだが、目に入る女たちの誰にもピンとくるものがなかった。
(まあ、じゅうぶんかわいい娘はいるんだけどよ。もっと、なんちゅうか、こうグッとくるような)
イケてる姉ちゃんはいないのか。
ため息をついて前を見ると、あいかわらず不機嫌そうな三蔵が目に入る。
食事のために入った店で、早速野郎ドモに声をかけられたせいだ。
もちろん速攻で撃退されたカスどもは、店の外に積み重なっているのだが、三蔵の腹は当分おさまりそうにない。
街に寄るたび同じことが繰り返された。三蔵でなくてもぶちぎれたくもなる。
女顔の苦労ははかりしれない。
(まあ、たしかに美人だけどよ)
なにもこんな、強暴な鬼畜生臭坊主にモーションかけることはないだろう、と悟淨は思う。
それも実態を知っているからいえる言葉であることは、悟浄も忘れているわけではなかった。
ただ、故意に無視しているだけで。
(男が美人でも、意味ねえだろ)
太陽の光を集めたような金色の髪、指の先まで真っ白な透き通るように滑らかな肌、たれ目だけど整った容姿、凛とした姿勢。
名工が磨きあげた芸術品のようだと、昔八戒が言っていた。
年々、美貌に磨きがかかっているような気がするのは、気のせいなのか、悟淨にはわからない。
あまり、それについては考えたくなかった。
「なあ、さんぞー。こんだけじゃ、全然たんねーよ」
「いいかげんにしろ猿。店ごと食いつくすきか」
「だって、たんねーもんは、たんねーしー」
「まあまあ、三蔵。追加ぐらいいいじゃないですか、あなたのお金じゃないんですし」
「しつけだ。甘やかしすぎなんだよおまえは」
「そうですか、でも、悟空が空腹だとジープの身の安全が不安ですし」
「なんだよー八戒!俺ジープなんて食わねーよ!」
「約束できますか?」
「うん。だってあいつ不味いんだろ」
「…………」
「…………」
三蔵と八戒の間に、同じ種類の沈黙が流れた。きっとその時二人は同じことを考えていたのだろう。
旨かったら食うのかと。そして、まずい事を既に確かめたのかと。悟浄もまあ、同じ意見だ。
「好きなものをたのめ。ただし、一品だけだ」
「あとで、お菓子も買いましょうか」
親子団欒ってとこかよ。
なんだか居場所がなくなっている気がして、悟淨は三蔵に視線を戻した。
「何見てやがる。エロ河童」
射るような視線が、まっすぐ悟淨に向けられる。
(この目がやばいんだろうな)
強い光を放つ、深い紫の瞳から視線をはずせなくなる。三蔵が男に声をかけられる最大の理由は、その美貌よりも、男の征服欲に強く働きかけるこの視線だろう。
「いやー、あんたってさ、いっつもおキレーだけど、そういう衝動ってないわけ?」
「死ね」
言葉と同時に銃がつきつけられた。
「いやっ、ちょっ! てめー、はやすぎんだよ!」
「黙れ18禁指定生物。頭か心臓か、選ばせてやるから十秒以内に答えろ」
「えーっと、三蔵様? 今のはちょっとした冗談で……」
「おせーな」
連続して銃声が店内に響き渡った。
悟淨が座っていた場所には、まだ硝煙がくすぶっている。
「全弾打ち込みやがった―――っぶねーな! こんの生臭坊主!! 俺がよけなかったらどうする気なんだよ!?」
「死ぬだけだろ」
何を当たり前のことをといった表情で、三蔵は床に転がった悟淨を見下ろした。
「だいたい、今の5秒もたってないぞ」
「細かいことを気にするな」
「俺の命は、細かいことなのかぁ?」
「少なくとも俺にとっては些細なことだ」
口で勝ち目などないことがわかっていながら、しつこく三蔵に軽口を叩いてしまう自分の行動が我ながら不思議だ。
「へいへい、わかりましたよ。じゃ、俺は適当に遊んでくっからさ」
これ以上の会話は不毛なだけだ。それに、なんだか余計なことを言ってしまいそうな気がした。
何かを壊してしまいそうな予感がする。
「いいんですか、三蔵」
「好きにさせとけ」
「えーっ! 悟淨だけずっこいー!」
「おまえは黙って飯でもくってろ!」
三人の会話を背中で聞いて、悟淨は店を出た。
(好きにさせてもらうさ。とめないってことは、黙認だろ、三蔵様?)
なんだか、イライラする。
ナンパに気が入らないのも、原因は本当はわかっているのだ。
(八戒が…へんなこと言いやがるから)
数日前の会話を思い出す。
しつこく、三蔵が悟浄のタイプだと繰り返した八戒の暗い瞳を思い返して、吐き捨てた。
「気の強さにも限度あんだろ」
八戒が三蔵に抱いている想いについては、悟淨もうすうす気がついてはいた。
それが、好意と呼べるものなのか、それは微妙だと悟浄は思う。
あの、憎悪にも似た執着と憧憬は、限りなく恋に似ている。
趣味が悪いとは思ったが、八戒が三蔵に対して特別な感情を持ってしまったのは仕方がないことだとわかっていた。
八戒の立場で、三蔵に惹かれなければ、それは嘘だ。
あの日、あの場に、悟淨もいた。
一切の迷いを打ち砕く、あの読経を悟淨も聞いたのだ。
あの時の三蔵ほど、胸を打つほど美しく気高い存在を、悟浄は一度も見たことがなかった。
悟浄が知っていた一番美しかった女は、嫉妬と憎しみに染まった、生々しい女そのものだった。
今でもあのひとほど美しい女はいないと思う。
憎しみに染まったその顔までが美しかった。
彼女に殺されるなら、それが一番いいのだと、子供だった悟浄は思った。
昔の話だ。今もまだそこから抜け出せなくても、それは取り返せない過去の記憶だ。
三蔵は違う。その気高さも美しさも、姿形から生まれるものではない。
悟浄には説明できない、三蔵自身の存在のあり方が美しいのだと感じていた。
もちろん、そんなことは、誰にも言うつもりはなかった。
なんだか、勝手に許された気になった。
何を許されたのかわからないが、自分は三蔵に許されているのだと、あの瞬間に感じたことは、消せない事実だ。
だから、まだ悟能と呼ばれていた青年の心を、まったくわからないとは悟淨にも言えない。
だが、悟淨にあんな台詞を言った八戒の意図がわからない。
牽制だろうか。そう考えて苦笑した。
「俺は、男になんて興味ないぞ」
いくら美人でも、まして相手はあの三蔵だ。
三蔵に対する複雑な反発と憧憬が自分にもあることは、なんとなくだが自覚はあった。
だが、それが八戒が三蔵に向けるような感情と同じだとは思えないし、どんな美形でも男に惚れる趣味はない。
悟浄が女に求めるのは、快楽よりも癒しだった。
それを、どうやったら三蔵から得られるのだ。
考えただけで寒気がする。
一緒に暮らすようになってから何年にもなるのに、八戒の裏を読めたためしがない。
弱みばかりが増えていき、立場は、一方的に低くなるばかりだった。
八戒は、三蔵をどうしたいのだろう。
今でも、失った女のことを忘れないのに。
贖罪といいながら、自分を責め続けるのは、まだ愛しているからだと悟浄は思っている。
どんないい女だったのか知らないが、そこまで愛されて、それでも自殺した花楠とはどういう女だったのか。
双子の姉だと聞いたが、絶対八戒には似ていない女だろう。
「というか、自分にている相手は抹殺しそうだよな、あいつ」
あからさまに特別な悟空と三蔵の関係を、八戒はほほえましいものとして捉えているらしい。
時に羨望をみせながら、それでも悟空の位置に立ちたいとは八戒も望んでいないだろう。
誰もあのふたりの間に入ることはできない。飼い主とペットといつもからかってはいるが、どんな言葉でもあの関係に説明が付けられない。
三蔵が絶対だと疑わない悟空が羨ましかった。時にいらだたしくなるほど。
そんなふうに誰かを信じられることが、羨ましくて仕方がない。
あまりに妬ましくて、バカにするしかなかった。
八戒はあの場所に満足しているのか、本当に。
相談役に、保父。
三蔵は八戒に気を許している。どうやら自覚はないらしいが、自分に見せる顔と、八戒に見せる顔はまったく異なっていた。
あの三蔵にそこまで入り込める立場にいながら、八戒は動かない。
好きなら、欲しいと思わないのか。
至上の女を失ったことで、臆病になっていることは知っているけれど、バランスはとうに崩れているのに。
(バランス……ってなんだ?)
本気で誰かを欲しがったことのない悟淨には、本当の意味で八戒の心を推し量ることができない。
時折投げかけられる、意味不明の言葉と態度はなんだろう。
八戒は三蔵の側に居場所を持っているのに。
「じゃあ、俺ってあんたのなんなわけ」
つい声に出してしまって、悟浄は硬直してしまった。
本当は、ずっと考えていたことだった。自分だけが、三蔵の側にいられる理由がないことを、ずっと忘れることができなかった。必要とされたがっているのか、あの鬼畜生臭坊主に。
(冗談。なに考えてるわけ、俺さま)
「なっさけねー」
悟淨は頭を抱えて、路上にしゃがみこんだ。
「ねえ、あのおじちゃん、なにしてるのぉ」
「やめなさい!」
通りすがりの子供に指をさされ、慌てた母親が子供を小脇に抱えて走っていく。
情けなさが倍増した。
「キレイな髪ね」
道の真中にへたり込んだ悟淨の前に、すらりとした白い足が投げ出された。
(おおっ?)
細くしなやかな姿態に、豊満な胸、さらに視線を上げると、悟淨ごのみの抜群の美人の顔がそこにあった。
軽く波打つ長い黒髪と、少しきつめの目元に泣き黒子、肉厚の唇が激烈に色っぽい。
「俺の自慢なんだよ。あんたの方こそ、いかしてるねえ。特にその目元の黒子が、そそられる」
「あら、ありがとう。あなたみたいなイイ男に言われると、気分もかわるものね」
「は、慣れてるね、あんた」
「あなたのほうも、余裕じゃない」
これは、ツキがようやくまわってきたということか。
これを落とさなくては、男じゃないだろう。
「あんたのこと、もっとよく知りてえな」
「その気にさせてくれたら、考えてもいいわ」
「OK」
悟淨は女の手をとると、そっと指先にキスをする。
手首を強く引くと、柔らかな身体を抱き寄せて、耳元で囁く。
女にしか聞こえなかった言葉に、黒髪の美女は、微かに笑みを浮かべる。
「合格よ」
時刻は夕暮れ、道は夕飯の材料の買出しに出てきた主婦や、仕事がえりの男たちでごったがえしている。
その道の真中で、妖しげなラブシーンを繰り広げる二人の姿は、完全に浮いていた。
「ねえ、おかあさん、あれ……」
「見ちゃいけません!」
子供の目を隠す母親たちと、口を開けたまま見守っている人だかりの中心で、悟淨と女は熱く口付けを交わした。
商店街のど真ん中で、それは、とてつもなく異様な光景だった。
その後しばらく、赤毛の男と巨乳の美女の噂は、ちょっとした伝説になってしまうのだが、そんなことは、悟淨はもちろん知らない。
紅い髪を、忌々しいと思っていたときもあった。
もっと子供の頃には。
そしてあの人が死んでしまってから、ずっとそれは罪の証だと思っていた。
それを、気に入るようになったのは、いつからだったか。
(ああ、三蔵が血の色だけが赤じゃねえと言ったから)
火みたいに赤いから、熱いのかと思ったと笑った悟空。
彼らにとってはどうということのない言葉だったのだと、悟浄にだってわかってはいる。
それでも、二人の言葉に確かに心が軽くなった。
発想の転換は、自分ひとりではなかなかできないものだ。
女の服を脱がしながら、悟淨はぼんやりとそんなことを考えた。
超イケてる姉ちゃんを前にして、いったい何を考えているのか。
(だあっ!どうでもいいだろ、あんなクソボーズ!)
背中から首筋にキスを落として、悟淨は女を優しくベットに横たえた。
「悟淨、どうかした?」
「いや、なんでも」
女の頬に唇を寄せて、悟淨ははじめて女の瞳を間近に覗きこんだ。
「っえ?」
黒に見えた瞳は、濃くて深い紫だった。
暮れかけた日差しの下では黒にしか見えなかったが、明かりに照らし出された瞳は間違いようもない紫色。
(―――――三蔵―――――)
三蔵とはどこも似ていない女の瞳は、だけど、光の加減で、三蔵の瞳とまったく同じ色に見える。
「悟淨?」
「……やべー」
悟淨の股間は、完全に沈黙していた。
「気にすることないわよ」
慰めが、かえって悟淨の傷をえぐる。
「なんか、よくあるみたいよ。そういうことって」
(俺ははじめてだ)
あまりといえば、あまりの事態に、悟淨は完全に半死人と化している。
女は少し困ったような顔で、悟淨を励ます。
「ホント、久々に楽しめたもの。あの口説き文句だけで、私は十分満足よ」
「すまねえ」
女に気を使われるようになったら、ナンパ師としておしまいだ。
「あっ、ちょっとまって」
どっぷりと落ち込んで部屋を出ようとした悟淨に、女は笑いながら声をかける。
「シャワーちゃんと浴びてから、帰りなさい」
「なんにもしてねーのに?」
少しジト目で女を見ると、意外に子供っぽい笑顔が返ってきた。
「誤解されるわよ」
「はぁ?」
「だから、紫の目をした人に」
悟淨は驚いた。何故、わかったのだろう。超能力かそれは。
「私はね、愛の伝道師なのよ」
妖艶な美女は、子供のように満面の笑みを浮かべた。
女に言われたとおり、移り香をすべて落としてから宿に戻ると、食堂に八戒が座っているのが目に入った。
「なによ、俺のことまってたとかいう?」
「そうですね。そういうことにしてくれていいです」
なんだ、それは。
八戒の目が暗いのは、明かりが落ちているだけではなさそうだ。
「俺の部屋どこよ」
「一番左の奥の部屋です。悟空と僕は反対側ですから」
「あ~あ、あの高慢チキといっしょかよ。八戒、部屋変わんねえ?」
冗談に紛れて、本音を吐く。
今は三蔵の顔を見たくなかった。
自分のことがよくわからない。どうしたらいいのか、誰でもいいから教えて欲しかったが、誰に相談することもできない。
「今、僕を三蔵といっしょにしないほうがいいですよ」
「……はっ?」
「なんでもありません。悟淨……」
八戒は、そこで言葉を切り、悟淨をまっすぐ見つめる。
「悟淨、あなたは、自分がいつも誰を見つめているのか、わかっていますか」
その言葉を無視して、悟淨は部屋に向かった。
答えられなかった。
もうそれを自分で知ってしまったから。
答えることはできなかった。
「女の匂いがしねえな」
「あら、気にしてくれんの。めずらしいじゃん」
三蔵を見ないようにして、投げやりに言うと、いつもどおりの冷たい言葉が返ってくる。
「させてたら、部屋から追い出そうと思ってたんでな」
「三蔵様は女嫌いなんだ」
「俺の職業を忘れてるらしいな。……化粧の匂いが気にいらねえだけだ。」
「タバコも酒もやるくせにね」
「それも俺の勝手だ。言いたい奴にはいわせとくしな」
窓際にもたれかかって紫煙を燻らす三蔵の姿に、悟淨は心臓が壊れたような痛みを覚えた。
(なんだよ、これ)
実像を知ってなお、三蔵を綺麗だと思う。
悟淨には触れることを許されない、あまりに清らかな姿態が目の前にある。
(なんか、もうどうでもいいか)
あんないい女相手に勃たなかったのに、三蔵を前にしただけで、欲情が止まらない。
思考するのが面倒だった。
身体が欲するままに三蔵の腰に手をまわして、そのまま抱き寄せる。
「沸いてんのか、貴様」
「あんたが欲しいっていったらどうする」
「その場で死ね」
「言うと思った」
突きつけられた銃口をそのままに、悟淨は三蔵に深いキスをした。
「ってーな」
「悟淨貴様!」
「撃たねーのね、やっぱ」
強くかまれた舌から滲んだ血をぬぐって、悟淨は笑った。
悟淨が避けないことは、三蔵にもわかっただろう。
どんないつわりも三蔵の前には通用しない。
本気で撃つかもしれないとは思っていたが、どこかで絶対に撃たれな自信があった。
「俺にもわかんねーんだ。ホントってやつがさ。だから三蔵が、見ぬいてくれよ」
「覚悟はできてるんだろうな」
三蔵の抵抗は、もうなかった。
そのまま乱暴にベッドに放り投げると、変わらない強い瞳が悟淨を睨みつける。
「教えといてやるよ。盛り上がってる男に、その瞳は逆効果だ」
キスはしなかった。
愛撫の手間さえもどかしく、三蔵が欲しくてたまらなかった。
押さえがきかなくなった欲望のままに、三蔵の身体を蹂躙して、泣きそうになった。
「なあ、声、聞かせてくんねえ」
白い肌を舌で辿ると、敏感に三蔵の身体が震える。
かみ締めた唇から血を流しても、三蔵は声をあげようとしない。
「三蔵が感じてる声、聞かせてよ」
「黙れ、下司」
声の隙間から吐息が漏れる。
誰も知らない三蔵の表情を、悟淨は食い入るように見つめた。
「綺麗だよな。いつもより、もっと綺麗だぜ」
「うるせえ!」
ろくに準備もせずに、一気に貫くと、三蔵が喉の奥で悲鳴を上げた。
ぐったりとした身体をそのまま揺すり、勝手な欲望を開放する。
「三蔵?」
気を失った三蔵の青い顔を覗いて、ようやく思考が戻ってくる。
「……俺……どうすんだよ、おい」
ことの重大さがようやく実感できた。
こんなことをするつもりはなかった。
三蔵を汚すことなど、考えたことなどなかった。
ただ、三蔵に惹かれていた。キレイだとずっと思っていただけだったのに。
ああ、嘘をついていると思った。自分自身に。
「違うな、そうじゃないだろ。俺はずっと三蔵を、汚したかったんだ」
気高く美しい最高僧を、地に引き摺り下ろして、汚して、自分の所にまで引き下げたかった。
そこまでしないと、自分の気持ちを認めることさえできなかった。
見ないふりをしていた。自分の気持ちに目隠ししたまま、八戒の気持ちも無視していた。
わかっている振りを、いつだって自分はしていたのだ。
「わかってたんだな、八戒」
俺がどれほど、こいつを欲しがっていたのか。
はじめてあった瞬間から、今日までの三蔵のすべてを思い出せる。
些細な仕草や、言葉も、宝物のようにしまっていた。
三蔵の読経を聞いた、あの遠い日から、悟淨は三蔵に惹かれていたのだ。
「バカじゃねえの、俺」
自分で把握できてさえいなかった想いを押し付けて、一番大切な人を傷つけ汚してしまった。
三蔵は自分を許さないだろう。
その誇り高さこそが、三蔵なのだから。
「今度こそ、撃ち殺されるかもな」
それもいいか。そう悟淨は思った。
許されないのはわかっている。許してもらおうとも思わない。
それがどんなに自分勝手で卑劣な行為であったとしても、自分は三蔵が欲しかった。
それは悟浄だけの事情で、三蔵には迷惑なだけだったろう。
だが、言葉にしてみようかとも思った。
「好きだってさ……」
勝手な台詞だとわかっているが、伝えておこうと思う。
それさえ伝えていなかったことに、今更気がついた。
殺されて当然だと自分でも思う。
「命があったら、ためしてみるか」
陵辱のあとが生々しい白い体を清めて、悟淨は三蔵を見つめつづけた。
三蔵の瞼が開くまで、ずっと。
2004/7/2 改稿
[4回]
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