「まるで、名工が心血を注いだ芸術品のようですね」
「はぁ? なんだ、それ」
「あの人ですよ」
悟淨と暮らすようになってしばらく経ってから、ふとそんな言葉を八戒は漏らした。
まだ、件の人物とはそれほど深く知り合ったわけではなかったが、会うたびに彼の姿に感嘆を覚える。
「お前だって、きれいなツラしてるって、ご近所で評判だぜ」
「いえ、なんだか、そういうのとは違うでしょう。あの人の場合」
「自分がキレイなのは否定しないのね」
「なんだか、よく言われので、そうなのかなとは思ってますけど」
「はあ、そうですか」
外は土砂降りの大雨で、悟淨と八戒は何をするでもなく、ぼーっとお茶を飲んでいた。
雨の日に、八戒を独りにするような真似を悟淨はしない。
尋ねても悟淨はいつも本心をはぐらかすが、彼なりに気を使っているのだろう。
意識しているわけではないが、雨が降ると記憶が飛んでいることが多い。
暗い淵に沈み込む八戒に、悟淨が適当に話しかける。
あの金色の髪の最高僧の話題を振られると、八戒の目に正気の色が戻った。
迷いの無い声が、八戒の胸を突く。
あの声と姿を思い出すときだけ、血の記憶を忘れることができた。
惨劇の光景を何度も何度もリフレインする八戒を、その度悟淨が正気に戻す。
そんなことを繰り返すうちに、本当に思いだしにくくなって、そのうち普通に会話ができるようになった。
忘れることはできるはずもなかったが、なんとか日常に支障がないていどに仮面を繕うことができた。
「お前さ、あいつんとこ、あんまいかねぇよな」
「悟淨は行きすぎですよ。また、撃たれてきたんでしょう。よくこりませんね」
「あの、クソボーズ。なんであんなのが、最高僧なんだぁ?」
「今度は何をしたんですか」
「ちょろっと窓から入ったぐらいで、いきなり撃つか、フツーよ」
「普通じゃないでしょう。あの人は、はじめから」
窓から寺院に侵入しようとする悟淨の行動も疑問だったが、とりあえずそれにはつっこまず、普通という言葉について考える。
三蔵がもし普通の僧侶だったなら、今ここに八戒は存在していない。
悟能の命を救ったのは悟淨。
そして、悟能だった自分に八戒という新たな生き方を与えてくれたのは、三蔵という名の尊い人。
「今度はいっしょにいかねぇ?」
「僕とですか」
「他に誰がいんだよ」
「僕は……」
迷いがあった。
死にたいなら死ね、だが自分を罪人だと思うなら生きて償えと言った人に、ごまかしを許さないあの瞳の前に、仮面をかぶって立てる自信が八戒にはまだない。
「別にたいしたことじゃねえだろ。ま、たしかにここからじゃ、遠いけどよ。お前といっしょならジープが使えるから、すぐだしな」
「僕の運転でいいんですか」
「他にいねえだろ」
「悟淨って、ときどき無謀ですよね」
「なんだよ、それ」
無免許の八戒の運転は、お世辞にも丁寧なものじゃない。
見よう見真似で覚えた運転はかなり激しく、ジープに変化する白竜を手に入れてから間もないこともあり、同乗者はかなり覚悟がいる。
そのことをよく知っているはずの悟淨は、もうすでに行くことを決めていて、今度は悟空と三蔵のどっちの部屋の窓から侵入するかを計画している。
なんだかおかしくなって、八戒は長安行きを承知した。
悟淨と共になら、なんとかなるような気がしたのだ。
「猿の餌付けように、なんか買ってっか」
「そうですね」
ご機嫌な悟淨を見ながら、八戒は軽く微笑んだ。
「帰れ」
「いきなり、それかよ。クソボーズ」
何が何でも窓から入ろうとする悟淨を引きずるようにして、三蔵の部屋の扉をあけると、挨拶するまもなく仏頂面の三蔵に切って捨てられる。
「あ! 八戒だ! 八戒! 八戒!」
「うるせぇ! 猿!! だまってろ!!」
はしゃぐ悟空を黙らせるため、三蔵がハリセンでその頭をはり倒す。
「なにすんだよ! 三蔵のムッツリスケベ!」
「……」
無言のまま、三蔵は扉の前にいる悟淨に向かって銃を連射する。
「だぁ!!」
「猿に余計な知識を与えるな!! このエロ河童!!」
「っぶねー、この横暴坊主!! 俺が教えたってなんでわかんだよ!」
「貴様以外に誰がいる」
出会ってからまだ1年にも満たないのに、なんだか目の前の光景が当たり前のように思えて、八戒はなんとなく不思議な気分になる。
本当に、自分がここにいることが、目の前に彼らがいることが、当然のような気がしたのだ。
「あのー。点心があるんですけど、とりあえずお茶にしませんか」
「するー!! するする!!」
期待に満ちた目で、八戒の前に悟空が飛び出す。
ちっと音を立てて三蔵が舌打ちしたが、どかっと席につくと、不機嫌な声で言う。
「茶はお前が用意しろ」
「はい」
ごく自然に、八戒は笑った。
「俺は無視かい」
悟淨の声が、少し哀しげだった。
「ふたりとも、悟淨とずいぶん仲良しになったんですね」
「ええっ! 俺こんなやつと仲良くなんてないぞ!」
「言うじゃねえか。チビ猿ちゃん」
「なんだよ」
「やるってのか」
完全に同レベルで張り合う悟淨と悟空を前に、三蔵はだまったまま八戒が入れたお茶を飲んでいたが、その白い額には青筋がたっている。
あ、くるかなと八戒がさりげなく避難すると同時に、三蔵の愛銃の銃口が火を吹いた。
「……こぉの、鬼畜生臭坊主!! 今の、マジでやばかったじゃねえかぁ
っ!!」
「三蔵ひでー! 河童悟淨はともかく俺までぇ」
「なんだと、馬鹿ザル」
「猿って言うな」
「いいから、茶ぐらい静かに飲め! 馬鹿どもがぁ!!」
「ああ! どもって言ったぁ!! どもってぇ!!!」
「こいつはともかく、俺のどこが馬鹿だってぇ」
「自覚が無いのか。重傷だな」
「クソ坊主!」
どうやら、こういう光景はすでに日常と化してるらしい。
三蔵と悟空のスキンシップをはじめて見た時も驚いたが、悟淨がそこになんの違和感も無く紛れ込んでいることにも八戒には衝撃だった。
どこか取り残されたような気分もあったが、思っていたより三蔵の前にたつのは苦しくなかった。
悟淨と悟空のおかげかもしれない。
喧騒は、八戒の思考が暗いかげりに逃げ込む隙を与えてくれない。
来てよかったと本気で思えた。
気がつくと、視線がどうにも三蔵を追ってしまう。
その理由が、八戒には不可解だった。
三蔵の実像を知れば知るほど、その極端に短気な性格とか、悟淨の言う鬼畜で生臭な生活に驚きながらも納得し、それでいながら、三蔵に対する信仰にも似た信頼を強めていく自分がよくわからない。
何度会っても、やはりどこまでも美しい人だと思う。
外見だけではなく、その存在そのものが人に美しいと感じさせる。
奇跡のような存在であることが、その言葉と心に触れるたびに、八戒の中に浸透していく。
罪人である自分には、本来出会えるはずもなかったキレイな人。
それとも、罪人だからこそ、彼に出会えたのか。
視線に気がついた三蔵が振り向いたので、八戒は笑った。
「お茶、おいしいですね」
「一応ここの最上の葉らしいからな、だがこれはお前の手柄だろう」
「それ、褒めてくれてるんですよね」
「好きにとるんだな」
なんでもない会話を続けながら、八戒は奇妙なことに気がついた。
(悟淨……?)
三蔵が視線を外したときだけ、悟淨が三蔵を時々見ている。
どこか、遠くを見るように。
三蔵を追う悟淨の目に、八戒は鈍い痛みを感じる。
鉛を飲み込んだように、体の中になにか重いものが溜まっていくような気がする。
だが、その理由を、八戒は考えなかった。
それは、考えてはいけないことだった。
だから、八戒は疑問を忘れた。
西へのたびに、でるまでは。
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