あなたは太陽。
迷えるものを導く、荘厳なる輝き。
その輝きに惹かれたものの、魂さえも焼き尽くす灼熱の炎。
あなたは月。
人を惑わす、はかなく無慈悲で空ろな光。
誘いながら拒絶する、切ないほどに残酷で臆病なやさしい氷。
なぜ、気付いてしまったのか。
なぜ──
「どうするんです、悟淨」
自分は今、どんな顔をしているのだろう。
どこか冷めた目で自分を見つめながら、八戒は悟淨に重ねて問う。
八戒からそらされた、悟淨の視線は戻らない。
冷静に観察する八戒の目には、悟淨の表情が痛みをこらえる怪我人のように見えた。
「お前はどうする気だって聞いてんだろ!」
「三蔵が起きますよ」
「八戒っ!!」
悟淨に胸座をつかまれても、八戒の顔に貼りついた笑顔に変化はない。
ようやく自分と目を合わせた紅い瞳に、八戒自身の顔が映っている。
「案外間抜けな顔してますね」
「なんだ、そりゃぁ?!」
「いえ、僕の顔のことです」
八戒の胸元を掴んだまま、悟淨が力尽きたようにずり下がってため息をつく。
事態が悟淨の頭の許容範囲を超えたらしい。
相変わらず、わかりやすい反応だ。
「わけわかんねえよ、お前……」
「そうですね。僕にもよくわかりません」
悟淨の腕をはずすと、八戒は氷水に浸してあったタオルを絞って、汗が滲む三蔵の身体を拭き清める。
花びらを散らしたような紅い痣が、所有の印のように白い肌に刻まれている。
事実を知っていても、痛ましい気がまるでしない。
こうやって見ると、それはかえって三蔵の肌を彩る飾りのようにさえ思えてくる。
(あなたは、何にも汚されることは無いんですね)
紅い模様をひとつずつ探ると、三蔵の身体が微かに震える。
(この世で一番キレイな人……)
白く華奢な喉に手を伸ばして、軽く力を込めようとした途端、強く腕を握られて、八戒は驚いた。
「やめろ」
八戒の腕を掴む悟淨の手が震えている。
赤く染まった顔が、なんだか歪んで見えた。
「どうかしましたか、悟淨?」
「お前今、自分がなにしようとしてたか……!」
どこかで見たような表情を浮かべる悟淨に、八戒は首を傾げる。
どこで見たのだろう。
「わかってねぇのか?!」
叫びに似た悟淨の声に反応したのか、三蔵の身体がびくっと小さく痙攣する。
「三蔵?」
目を覚ましたらしい三蔵への呼びかけに、悟淨は弾かれたように部屋を飛び出す。
その後姿を見つめながら、八戒は頭の遠くでかすかな記憶を手繰っていた。
(ああ、あれは――)
昔よく見たことがある。
(――泣き出す寸前の、子供の顔――)
「悟淨……?」
か細い三蔵の声が、冷水をかけられたように、八戒の耳に突き刺さった。
鋭い痛みは甘くもあり、八戒は微笑む。
きっと自分は、今までのどんなときよりも、優しい顔をしているだろう。
「目が覚めましたか、三蔵」
八戒はそっと、三蔵の肩に手を置いた。
八戒を確認すると、三蔵は一瞬硬直してから、もう一度目を瞑った。
「お前だけか……」
「ええ、今は」
強張っていた身体から、ゆっくりと力が抜けていく。
閉じた瞼が開かれる瞬間を、八戒は食い入るように見つめる。
自分がどれほど無防備な表情をしているのか、三蔵は多分知らない。
八戒とふたりっきりのとき、三蔵が普段とはまったく別の顔を見せることを、おそらくは本人すら気がついていないだろう。
三蔵は凪いだ水面によく似ている。
へたに刺激さえしなければ、一日中だって黙っているほど反応が少ない。
最小限の言葉で三蔵の意図を汲める八戒を相手にするとき、三蔵は驚くほど穏やかだ。
それに気がついたとき、八戒は三蔵のそばに居場所を見つけた。
許されているという安心感に隠されて、自分が一番危険な位置にいることが分からなかった。
真っ直ぐ八戒を見つめる紫の瞳に、いつもの苛烈な光はない。
揺れる眼差しには、はっきりと苛立ちの色が表れていたが、三蔵は何も言わなかった。
「何も聞かないんですね」
「お前はもう、知っているはずだ」
何をとは、どちらも言わない。
「なら、言うだけ無駄だな」
「そうですか?」
三蔵が強い態度をとり続ける限り、八戒が迷うことはない。
時折見せる三蔵の不安定さが、八戒の心を揺さぶる鍵だった。
「あなたは何故、悟淨を撃たなかったんですか」
「撃つ価値もねえからだ」
「撃てなかった――では、なくて?」
「どいつもこいつも、よっぽど早死にしてえらしいな」
枕元に隠してあった銃を、三蔵は八戒の頭に押し付ける。
「あなたに、僕が撃てますか」
「死ね」
銃声が部屋に響く。
「外れましたね」
八戒は三蔵から視線を逸らさずに微笑む。
少しもよけようとしなかった八戒を、三蔵は苛立たしげに睨んだ。
「……あの馬鹿は、俺の身体が欲しいと言った。そんなに欲しいならくれてやるさ。いまさらもうどうでもいいものだからな」
それが本気ならば、三蔵がこんなにも傷ついている理由はなんだというのか。
悟淨に陵辱されたことだけが原因ではないはずだ。
それにしても、悟淨の気持ちは三蔵にまったく通じてないらしい。
「身体だけならくれてやる。だが、八戒――お前は俺の、何が欲しいんだ」
「何も……何もいりません」
驚いたことに、それは八戒の本心だった。
もう抱えきれないほどたくさんの大切なものを、八戒は三蔵から受け取っている。
三蔵のすべてが欲しいという小暗い執着は、心の一番奥に確かに消せずに存在するが、奪い尽くし大切なものを破壊するようなことを、八戒はしたくなかった。
それが自分の本性だとしても、したくなかったのだ。
「ただ、僕があなたにつけいる隙を、見せないでほしいだけです」
「何を言ってるんだ、お前は」
「さあ、なんでしょうね」
「やはり、死ね」
もう一度銃を構えようとする三蔵の腕を、そっと撫でると、そのまま八戒は三蔵の顔に手を伸ばす。
絹糸のような髪に軽く触れ、耳元から顎にかけての輪郭を指で辿る。
(ここで、撃ってくれればいいのに……)
そう思いながら、八戒は三蔵を確かめる指を止めることができない。
三蔵は動かなかった。
互いの視線も外さない。
不思議な静寂の中で、気がつけば密着といっていいほど至近距離に互いの顔があった。
自分は今、ちゃんと笑えているだろうか。
三蔵の瞳が軽く伏せられるのを合図に、八戒は三蔵にキスをした。
軽く触れるだけのキスから、角度を変えて深いキスに。
ゴトっという大きな音をたてて、三蔵の銃が床に転がり落ちる。
勘違いのしようもなく、三蔵の舌は八戒に応えている。
絶望にも似た暗い喜びを感じながら、八戒は三蔵の唇に酔った。
三度目のキスをすると、手持ち無沙汰に遊んでいた三蔵の腕が、八戒の背中にまわされる。
誰でもいい。
八戒は祈った。
この許されざる罪人を、今すぐ罰して欲しい。
自分は必ず、この尊い人を、煉獄の闇に引きずり込むだろう。
それだけはしたくない。したくないのに。
八戒の心の叫びに答えるものはどこにもない。
いつのまにか、三蔵の目尻から涙がこぼれている。
「泣かないでください。あなたにそんな顔をさせたくないんです」
「俺は泣いてなんかいねえ」
「泣いてます」
「黙れ!」
きつい視線は、涙でぼやけて、子供のように頼りなげに見える。
「僕はあなたについていきます。たとえあなたに拒否されても、僕はあなたを追い続ける」
「……勝手にしろ」
「そうさせてもらいます」
日が沈みかけている。
赤く染まった室内で、三蔵を抱きしめていた八戒は、自分たちが見られていることに気がつかなかった。
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