どこまでも広がる草原で、八戒は女と対峙していた。
三蔵も悟浄も悟空もいない。
「あなたに聞きたいことがあったんですけど、やめておきます」
三蔵に何を言ったのか、それは聞かないほうがいいのだろう。
聞いたところで、三蔵の心がわかるわけではないし、一番知りたかった自分自身の答えはもう見つけたのだから。
「でも、ひとつだけ聞きたいんですが、あなたは、何がしたかったんですか?」
ここもまた女が創り上げた空間なのだろう。
風に吹かれながら、女は子供のように無邪気に笑った。
「だから、私は、愛の伝道師なのよ」
「あくまではぐらかしますか。それでもいいですけどね」
少しばかり迷惑な騒動だったが、彼女が自分たちを引っ掻き回さなければ、いつか自分は自分いついた嘘のために、また罪を犯すことになったかもしれない。
三蔵が好きだ。
でも、それはやはり嘘なのだ。
「嘘は、誰でもつくものよ。嘘つかなければ、人はこの残酷な生という道を歩むことなどできないもの。でもね、嘘か本当かなんて、誰にも区別なんてつかないの。なら、それは本当と同じことじゃない?」
「少なくとも僕にとっては、違います。嘘は、どこまでも嘘ですよ」
純粋に、ただ三蔵自身を求めることができないなら、想うことだけでさえ、八戒にとっては罪に等しい。
三蔵に惹かれている瞬間。自分は確かに花楠を忘れた。
自分が罪人であることを、一瞬たりとも忘れてはならなかったというのに。
それは、両者に対する裏切りだった。
「どんなに強く願っても、過去は風化していくものよ。だって、私たちは生きているんだから」
「僕は、自分の罪を忘れるわけにはいかないんです」
「愛した人を忘れるのが怖いから?」
花楠を忘れることなどできない。
忘れようとしたことはないけれど、どんなに時がたとうと、忘れることなどできはしない。
「あなたは、愛した人のために犯した罪と、愛した人自身を重ねてしまっている。それがあなたの嘘よ」
「それは……違います……違うはずです!」
(彼女を死なせたのが僕の罪)
「罪を背負って生きることと、過去の記憶を思い出にすることは、相反するものではないわ。失った人を今でも愛しているのなら、罪とそのひとを切り離した方がいい。そうじゃなければ、愛すること自体を罪だと感じてしまうから」
そうだ。どうして、こんな罪人に、あの誇り高い華を愛していると願えるだろうか。
たとえ三蔵が、すべてを受け入れてくれたとしても、八戒自身が自分を許せはしない。
「でも、あなたはもう知っているはず。自分が誰を愛しているのか」
「ええ、あなたのおかげで。でも僕は嘘をつき続けます」
八戒は今度こそ本物の笑顔で答えた。
「それが、僕の本当の望みですから」
「鍵は、確かにいただいたわ」
自称愛の伝道師も、笑いながら風に身を任せている。
踊っているようだと八戒は思った。
唐突に現れたのは、やはり扉だった。
「開けたら、また違う場所でしたというオチはないでしょうね」
「願いが本当なら帰れるわよ。迷ったらまた違う場所に出るけど、あなたは鍵を見つけたから大丈夫でしょ」
みんなも自分だけの扉を開いたのだろうか。
それを八戒は聞かなかった。
自分だけの心の扉は、誰にも教えはしない。
そう決めていたから。
彼女も教えてはくれないだろうし、そして、誰にも教えないのだろう。
そんな気がした。
「じゃ、向こうでまた会いましょうね」
愛の伝道師を名乗る女の声をあとに、八戒は扉を開いて一歩踏み出した。
そこに、願いどおりの光景があることを、強く信じながら。
2005/1/28
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