目を開けると、そこはもとの宿屋の部屋だった。
どちらにもドアノブがついた扉は見当たらない。
真正面には、謎の愛の伝道師の姿があり、その向こう側に三蔵と悟浄が見えた。
女を囲むように4人がそれぞれの個性に合わせた姿勢で、彼女を凝視している。
悟空はいつものように屈託なく。
悟浄は何が起こったのか分からないという表情で。
三蔵は、いつものように眉間に皺を寄せて彼女を睨んでいる。
自分はきっと笑っているのだろうと、八戒は思った。
「東の術者か」
三蔵は様子が変だったが、それを詮索しようとはもう思わなかった。
八戒にはもう分かっていたから。
「外方使いだな。何故桃源郷にいる」
「心外ね。私は愛の伝道師。愛を広めに来ただけよ」
「本人の承諾もなしにか。外方の使い手らしい話だが、俺たちを巻き込んだ理由はなんだ」
「三蔵、外方使いとはなんです」
「仏の力にも神の力にも属さない、もちろん妖力でもない、理論で構成された術式により発動する人間のみが使うことのできる神も仏も魔も否定する力のことだ」
法力とはなんなのか、妖怪である八戒たちには理解できない。
だが、仏を信じなければ使えないということでもないのだろうかと、八戒は考えた。
普段の言動からして、三蔵の信仰心が厚いとは思えない。
が、それでも三蔵は最高僧なのだ。
だから、そのことを深く考えたことはなかった。
だが、人間だけが使える神を否定する力とは?
「信仰を否定する気はないわ。この桃源郷には、神と仏と妖怪が実在する。私たちは実在するものを否定したりしないの。ただ、私たち自身は信仰とは無縁ね。確かに」
女は何の動揺もなく笑顔で答えた。
「私たちは、世界を探求したいの。ただ知りたいだけ。そして、解明した事象を試しているだけ。私たちは、先に何があるのか知りたいだけなのよ。例えそれが楽園を追われることを意味しても」
なんて、美しいのだろうと、八戒ははじめて思った。
三蔵のように、彼女は美しい。
それは、彼女自身の内側から出る輝きだ。
三蔵とはまったく違う。
それでも彼女は美しいと八戒は素直に思った。
「知ることを禁じられた桃源郷は、少なくとも私たちにとっては楽園ではないわね」
「お前たちが外方使いと呼ばれるようになった原因を俺は知っている」
三蔵もまたまっすぐに女の目を見ていた。
「決して侵してはならない禁忌を冒したからだ」
「なんだよ。それって」
悟浄がわけが分からないといった顔で呟いた。
「妖術と科学の合体だ」
「それって、三蔵!」
悟浄と八戒は同時に叫んだ。
悟空は頭を悩ませている。
「お前らが考えたとおりだ」
牛魔王復活のための邪法と同じ、禁じられた術を、彼女もまた使うというのか。
「そうね。そういう科学者がいたのは事実よ。でも、妖力と科学を合成してはならない理由とはなに?」
いたずらをする前の子供のような表情で彼女が笑った。
『なにがおこるかわからないから』
悟空と三蔵を除いた三人の声がハモった。
「前にそう言われたっけな」
「禁忌の子供もそれが理由ですか」
三蔵は少しためらったようだ、しかしもう迷いのない声で彼女を糾弾する。
「知識への欲望は俺だって否定はしねぇ。誰も確かめたことがないことに疑問を持つのは悪かぁねぇな。だが、お前たちはその結果に責任を持たなかった。それが、外方と呼ばれるゆえんだ」
痛みをこらえるように、三蔵は続けた。
「今回のことだって、お前の言うように、悟浄と会ったのは偶然かもしれないが、単に試してみたかったんだろう。三蔵法師と妖怪の関係が何を生むのかを。そういうのを下衆っていうだよ!」
「ちょい、まてよ三蔵様、女性にそれはないんじゃねーの」
三蔵は少しだけ顔を歪めると、悟浄から視線を逸らした。
八戒は、それだけで三蔵が扉の中で何を見たのか分かるような気がした。
「てめーは、何もわかってねぇ」
「はぁ? じゃあ、三蔵様には何が分かっているって……」
「悟浄、あなたは分からなくてもいいんですよ。それを、三蔵もわかってます。そうでしょう?」
「しらねーな」
真っ直ぐと八戒を見返す目が揺らいでいることに、もう八戒は動揺しなかった。
胸の痛みは変わらずここにある。
三蔵の弱さを見るたびに、きっと胸は痛み続け、心は悲鳴を上げ続けるだろう。
それでも、八戒は見失っていた一番大事な願いをもう忘れたりはしない。
「彼女の目的なんてもうどうでもいいんです。どんな理由があっても、僕は彼女に感謝しています。それだけでいいでしょう?」
「それでいいのか、お前は。俺は!」
「言わないで下さい。三蔵。僕はこれでいいんです」
そうして、八戒はにっこりと笑って嘘をついた。
[0回]
PR