なにかと噂の転校生、緋勇龍麻17歳は、最近お気に入りの縁側で惰眠を貪っていた。
夏の終りの日差しはまだ強烈で、昼寝には向かない環境なのだが、彼の周りだけ涼風が吹いているように、緋勇は安らかな寝顔を見せている。
家主である骨董屋の若旦那こと亀の王様如月翡翠は、その秀麗な眉を寄せて状況判断に苦しんでいた。
(何故、いつもこんな所で寝ているんだ)
寝ているというより、転がっているといったほうがいいだろう。
真神高校の五人組と運命的とも言える出会いを果たしたのは、つい半月ほど前になるが、骨董屋の店主と客という立場では、春ぐらいから何度も顔をあわせている。
賑やかでアクの強い仲間のうちで、無口で表情の変化に乏しい緋勇を、物静かな人間なのだと如月は思っていた。
騒がしいことが苦手な如月は、なんとなく緋勇には好印象を抱いていたのだが、それが大きな勘違いであったことに、仲間になった途端気付かされた。
「あんた、美人だな」
仲間になって間もない如月に、龍麻は視線を合わせて真顔で言い切ったのだ。
「ひーちゃん、男に美人はねーだろ。美人はさー」
「なんでだよ。関係ないだろ、俺は如月がキレーだと思ったから美人だって言ったんだ。キレイな相手にキレイだって言うのは当然じゃないのか。ああ、翡翠って名前もキレイだよな。如月にすごく似合ってる。俺もあの石好きなんだ。そうだ、今度から名前で呼んでいいかな。如月って言うより、絶対そっちの方がイメージだもんな。そうだ、そうしよう」
唖然とするしかなかった。
口を挟む隙がまったくなかった。
「緋勇クン、それは……」
「龍麻」
「えっ?」
「だから、俺の名前は、龍麻だって。俺が名前で呼ぶのに、翡翠が苗字じゃ不公平だろ。だから、龍麻って呼べよ」
翡翠と呼ぶのは決定事項らしい。
何か、反論をと思ったが、何を言えばいいのかわからなくて、如月は困惑した。
客商売は接客が命。
商売柄様々な人間に接していたが、こんな反応は初めてで、如月のペースは乱れっぱなしである。
「龍麻、如月だって、最初からそれでは驚くだろう。相手のことも考えてだな……って、おい、聞いているのか?」
「聞いてない。なに、俺に翡翠って呼ばれるの、嫌なのか」
醍醐を無視して、如月を見つめる龍麻の瞳に如月は思いっきりたじろいだ。
目は口ほどにモノを言うというが、表情がほとんど動かない人形のように整った容姿の中で、大きな目だけか、強い光を放っている。
不思議な瞳だった。
揺るがない透明な瞳の奥には、一片の影も見出せない。
この強さはなんなのか。
魅入られたように視線を外せない如月に、さらに龍麻の追い討ちがかかる。
「じゃあ、なんて呼ばれたいんだよ。ひーちゃんと呼ばせてやるから、すーちゃんとでも呼んでやろうか」
「き、如月じゃ、ダメなのかい」
「ダメ」
(何故?)
「ひーちゃん、どうしてすーちゃんなの?」
「翡翠の翠ですーちゃん。翡だとひーちゃんで俺と同じになってややこしいからさ」
「あら龍麻、じゃあきーちゃんでもいいんじゃないかしら」
「葵……翡翠はきーちゃんてイメージじゃないだろう」
「そうだね、ボクもそれはちょっと違うと思う」
(じゃあ、すーちゃんはイメージなのか!)
女の子二人と龍麻の会話に心の中で突っ込みを入れても、状況は変わらないどころか悪くなるばかりだ。
若旦那は忍者のくせに突発事態に弱かった。
融通が利かない真面目人間は、マイペースな人間には勝てないようになっている。
腹を捩って笑っている赤毛の木刀男を滅殺することを心に誓う如月の肩を、筋肉ダルマが沈痛な面持ちで叩いた。
同じ四神の運命を背負うものの絆というものを勝手に感じた如月は、わずかな期待を込めて醍醐を見ると、未だ目覚めぬ白虎が首を振る。
「あきらめろ」
(なんだ、それは!)
「おい、すーちゃんでいいのか。言っとくけど、俺は1度決めた呼び名を滅多なことじゃ変えないから、このままだとお前は俺に一生すーちゃんと呼ばれること決定だけど、それでかまわないんだな」
彼を無口で物静かなどと誰が言ったんだ。
あんただろうが、如月翡翠。
(一生なのか!)
反応が遅いぞ、忍者。
「翡翠と呼んでくれ! いや、ぜひ翡翠と呼んで欲しい!」
「わかった。これで全部オッケーだな」
「よかったね、ひーちゃん」
「嬉しい? 龍麻」
女の子二人組の笑顔に、如月は正気に戻って呆然とした。
「は……はめられたのか、僕は」
「龍麻と小蒔は深く考えてないんじゃねーか」
「葵は計画的かもしれんな」
如月の横で残された二人が深く頷きあう。
「俺たちの仲間になるなら、覚えとけよ。敵に廻せない相手はひーちゃんだけど」
「敵にしてはいけないのは、葵だ」
鬼道衆との戦い以上に、この連中とやっていくのは厳しい道のりだろうことが、この会話だけでよくわかった。
(選択を誤ったかもしれない……)
ご先祖様、僕は無事に東京を守るという使命を貫けるでしょうか――遠い目をしてしまう如月だった。
その次の日から休みの日ごとに、龍麻は如月の家に押しかけて縁側に転がっている。
放課後いきなり訪ねてきて、そのまま泊まって行くこともあった。
どうして龍麻がここまで自分にかまうのか、如月にはどうしても理解できない。
龍麻の印象は如月の中で二転三転し、未だに龍麻の性格が把握できなくて、如月はいつも龍麻に押し切られてばかりだ。
この半月で知ったことといえば、古武道をしているわりには細い外見に反する大食いと、どこでも寝まくる寝穢さぐらいだろう。
「どういう気なんだい、きみは」
「来たいから、来てるだけだけだろ」
返事があるとは思わなかったので、如月はひどく驚いた。
「起きてたのかい」
「あれだけ悩まれたら目も覚めるって。俺気配に敏感だから」
「そのわりには、いつも無防備に寝てるじゃないか」
「だって、ここ気持ちいーんだもん」
「時々、きみが子供みたいな気がするよ」
「ああ? なんだよ、それ。俺ここ来たら迷惑なのか? それならそうとはっきり言えよな。俺ははっきりしないのが一番嫌いなんだよ」
「迷惑だとは思ってないよ、ただ、不思議なだけで」
それは本当だった。
途惑っているのは確かだけど、不快だとは少しも思わない。
むしろ、龍麻が来るのを待ちわびていた自分がいることに、如月は今ようやく気がついた。
「俺さ、不眠症なんだよね」
「……それは、冗談なのかい」
「ホントホント。小学生くらいからかな。ずっと酒で寝てたけど、ちっとも酔わなくなってきちゃってさ、高1から眠剤で寝てる」
「しかし、きみは」
(いつも、僕の家で寝てるじゃないか)
「まあ、聞けよ。それで薬がもともと効きにくいせいかもしれないけど、眠剤飲んでも眠りが浅くてさ。もう眠いって感覚がよくわからなくなってたんだ。それが普通になってたから、特に不都合でもなかったし、授業中睡魔が襲ってくるぐらいか」
「なんだか、想像がつかないんだが」
「だから、聞けって。眠れない理由ってのは、だいたいわかってんだけど、それは俺には改善できないんだ」
「それは?」
「リラックスってどうやるんだ?」
言われた意味がよくわからなかった。
「リラックス……?」
「いや、言わなくてもいいぞ。俺の参考にはならないから。ようするに俺は四六時中緊張してんだよ。寝てる間もしてるらしいな。気を抜くってことができないから、眠りに入れない。自分1人の状態でもそうなんだから、他人がいる状態でなんて絶対寝れないね」
「龍麻の言ってることは、矛盾してるように聞こえるんだが」
「それで、どうして俺が翡翠の家で寝れるかだろ? 理由は簡単。翡翠の側って気持ちいーんだ。マジでさ」
「この場合、なんと言えばいいんだい」
「素直に喜べよ。はじめて会ったときから、なんか空気が違うっていうか居心地よくてさ、あんまり気持ちいいから、毎日旧校舎潜って戦利品買い取ってもらいに行ったんだぜ」
そういって龍麻はクスっと笑う。
作り物めいた美貌が、わずかな表情の動きで、印象が一変する。
心臓を鷲づかみにされたような気がして、如月は目眩をおこした。
(こ、この動悸はいったい)
使命に生きる隠れ忍者――隠れてない忍者ってなんだ、アメリカンニンジャマスターとかか――は、恋愛の経験値が限りなくゼロに近かったため、自分の身体的異常を精神的理由と結びつけることができずに、ただオロオロするばかり。
まあ、同性にそういう感情を持つこと自体理解の範疇を超えてるから、自覚までの道のりは果てしなく遠いはずだった。
しかし、通常の高校生活を送っていれば、自分の気持ちに一生気がつかないで友情を貫けたかもしれないが、試練は恋を燃えあがらせ、ライバルの存在は火に油を注ぐものなので、如月は急転直下で龍麻バカへの坂道を転げ落ちることになる。
とりあえず、それはまだ先の話ではあるが。
「でも、龍麻は商品を売りに来たときも、僕に声をかけてくれなかったのに」
「気持ちよさの原因が翡翠だって気がつかなかったからな」
「は?」
「店のせいだと思ってたんだよ。だって翡翠店と一体化してんだもんな。外で会わないと一生わからんかったかも」
「……ここも、喜ぶとこなのかな」
「だろ? 俺と知り合えたんだから、ラッキーじゃん」
「そうかもしれないね」
「そうそう」
(きみには勝てないというのがよくわかったよ)
苦笑しながらも、それは悪い気分じゃなかった。
「君がきたかったら、いつでも安眠場所を提供するよ」
「和服美人がもてなしてくれるしね」
「龍麻、その言い方だけはやめてくれ」
「わかったって。翡翠がいやがることはしない」
特別な位置を龍麻に与えられた嬉しさで、如月は少しだけ幸せな気分だった。
仲間っていうのもいいものだとのんきに考えていた彼は、龍麻を巡ってその仲間達と血で血を洗う抗争を繰り広げる自分の未来をまだ知らない。
如月は確かに龍麻の特別を手に入れたが、別の意味での特別はこれからどんどん増えていく。
人見知りはしないが実は人間嫌いの龍麻のガードを蹴破って、未来のライバル達は強敵ぞろいときている。
そして、最強のライバル龍麻の妹との熾烈な争いで、亀に勝ち目があるのかどうか、それはまだ不明だ。
縁側で茶なんて啜ってる場合じゃないぞ、玄武の兄ちゃん。
それでも今だけは、ささやかな幸せを噛み締めてもらおう。
「なんか、まーた眠くなってきた」
「夕方には起こしてあげるから、もう一眠りしてもいいよ」
「じゃ、たのむ」
パタンと、横になると、速攻で眠りに入った龍麻に微笑みかけながら、如月は空を見上げた。
「今日は、いい天気だね」
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