大晦日の買い物客達でごった返すデパートの食品売り場で、謎の中国人少年劉弦月は感動に打ち震えていた。
中国の秘境育ちで、都会とどうにも馴染まない劉だったが、今日だけはそんなことは関係なく、東京はなんていいとこなのかと涙を流さんばかりにうかれている。
原因は言うまでもなく、目の前で食材を買いあさっている緋勇龍麻その人のせいである。
(今日も、なんてカッコイイんや、アニキ!)
キングサーモンを厳しい顔で睨んでいる龍麻を見てそんなことを真剣に考えてるのだから、すでに人として終っている。
そもそも劉の龍麻に対する思いこみの激しさは生まれたときからと言ってもいいぐらい筋金の入ったものだ。
龍麻の父がいなければ、劉が生まれることもなかっただろうし、自らを人柱にしてまで劉の村を、そして世界を救った恩人の存在を子守唄代わりにして成長したぐらいなので、出会う前からその息子への幻想ときたら止めど無いものがあった。
あの緋勇弦麻の息子で、世界の命運を握る「黄龍の器」である。
夢も膨らむというものだ。
しかし、夢とは儚いものと相場が決まっている。
現実の前に虚像は常に打ち砕かれるものなのだが、劉の目に張り付いたウロコは、それはもう分厚く丈夫にできていた。
龍麻は良くも悪くも誤解されやすいパーソナリティだったが、劉の思いこみは弦麻への憧憬も入っているので、真実を悟らせるのは難しいし、当の龍麻本人は実害がなければ放っておく主義なので、幻想はますます強固なものになっている。
今日も単に荷物持ちとして、家族も家もなくて大晦日の準備とは無縁の劉に荷物持ちをさせているだけなのだが、アニキが頼りにしてくれたと感動する劉に何を言っても無駄だろう。
「ユエ、これも」
「あれ、こっちの魚は、アニキ?」
「こんな馬鹿高いもん買えるか! 北海道育ちの人間には信じられない値段だぞ。ちっくしょう、正月っていったらキングサーモンに決まってんのに。柳生のことがなかったら、実家帰るんだけどな」
「アニキが行くんなら、どこにでもついてくで」
「何言ってんだ、頭湧いてんじゃねえの。なんで、北海道までお前みたいにうっとうしい奴連れてかなきゃいけないんだよ。だいたい冬の札幌で野宿する場所なんてどこにもないぞ。そんなに凍死したいのか。俺の家あてにしてんなら無駄だからな。お前みたいに胡散臭いの、親にどう紹介すりゃいいんだよ。このエセ関西人」
「冷たいで、アニキ。こんなにアニキのこと考えてんのに」
「それが、うっとうしいっての」
最終決戦を目の前に暢気なことだ。
こんなやつらに東京の命運がかかっていると思うと、都民の皆さんに申し訳が立たないだろう。
こんな息子でいいのか、緋勇弦麻。
草葉の陰で泣いてるかもしれない。
「楽しそうだね」
「うわっ! ビックリしたぁ!」
すっかり存在を忘れ去られていた壬生紅葉に背後で呟かれて、劉は本気で飛びあがった。
気配を殺して人の背後につくのが習性の彼は、孤高の暗殺者。
一部(主に龍麻)では、手芸アサシンとも呼ばれている。
龍麻と対の技を使う壬生のことが、劉はかなり苦手だった。
(なんで、こないに怖い目で見られんといかんのや)
無口なのも無表情なのも、どうやら感情表現が苦手なためらしいというのは仲間として戦ううちにわかってきたが、はじめから壬生に敵意を持たれているような気がしてならない。
(わい、なんかしたんやろか。如月さんにも避けられとるみたいやし)
安心しろ。
敵意を持たれているのは君だけではない。
蓬莱寺京一など、壬生紅葉と如月翡翠の暗殺リストのトップに名前を挙げられている。
龍麻の半身を自認する壬生が、龍麻の親友とか弟分とか名乗る相手に好意を抱くはずもない。
人前での龍麻へのスキンシップなんて、絶対やれない性格だから余計に気に触るのだろう。
如月はエセ関西弁が気に入らないのと、劉の龍麻への過剰スキンシップが逆鱗に触れているのだが、そんなことを知らない劉は如月の態度に密かに傷ついていたりした。
自分のどこが悪いのかと考えてもまったくわからない。
役にたってないが気配りの人である劉は、下手につつけば泥沼確実の状況を考えたくなくて、無意識に壬生の存在を無視していたのだが、反動で龍麻にベッタリとなってしまい、結果として壬生の機嫌を最低まで下げてしまったことに、不幸な少年は気がついていない。
気がついたところでどうしようもなかっただろうが。
「ええっと、壬生さんはどうしてこないなとこに……」
「僕がいたらおかしいのかい」
「そ、そんなこと、ありまへんけど」
「俺が呼んだんだよ。やっぱ、作ってくれる人に選んでもらうのが一番だろ」
「へっ? 作るって……」
「年越しのご馳走だよ。出来合いのものって寂しいじゃん。せっかくの年越しなんだから、美味いもん食べたいよな。で、紅葉に作ってもらうことになったんだよ。俺も傷が完全ってわけでもないし。誰かいてくれた方がありがたいかもと思って。ご馳走はやっぱみんなで食べるもんだよな」
が~ん!!!!
なんだかよくわからないが、劉はショックを受けた。
(アニキと年越し!)
龍麻は1人暮し、壬生のたった1人の家族である母親は入院中、つまり壬生が食事を作るということは、二人っきりで年越しをするということなのか。
(わいだって、アニキと年越ししたいのに!)
この時点で、まだ劉は自分の龍麻への想いを尊敬と敬愛だと思っている。
かなり鈍いらしい。
おもいっきり嫉妬してんのに、まだ気がつかないか。
だが、そんな劉の心を本人以上に見抜いているらしい壬生は、容赦なくトドメにはいる。
敵に情けは無用。
ライバルの足は引っ張れるときに引っ張る。
さすがだ、アサシン。
「龍麻は本当に幸せそうに食べてくれるからね。僕も作りがいがあるよ。ずいぶん僕の料理を気に入ってくれてるようだし」
「幸せそうなアニキ……」
そんな龍麻を見たことがない劉は再びショックを受けたが、なんのことはないいっしょに食事をすればいつでも見れる程度のものだ。
ラーメンでもいつも幸せそうだ。
紅葉の料理が美味しいことは事実だが。
「そんな顔してるか? 紅葉の料理なら何食べても美味いから、いっつも幸せといえば幸せだけど」
「いっつも……」
「仕事がなかったら毎日でも作りたいんだけど、せっかく鍵を預かったのになかなか行けなくてすまないと思っているよ」
週に4回も行ってりゃ充分だという気がするが。
「か、鍵やてぇ!」
(どうして、壬生さんがアニキの部屋の鍵もらっとんのや)
「いや、すっげーありがたいよ。壬生がいなかったら俺の生活かなりやばいもんな」
「アニキ……鍵って」
「あ? 俺日常生活役立たずなんだよ。1人暮しって無謀だったんだろうけど。紅葉が来てくれるまで俺の部屋って腐海みたいなもんでさ、料理もほとんどしなかったし。葵とか弁当作ってくれたけど、女の子を1人暮しの男の部屋に上げんのマズイだろ」
「あれは、女の子じゃなくてもキツイと思うけどね」
「今は紅葉が片付けてくれるんだからいいんだよ」
「龍麻が喜んでくれるなら、僕も嬉しいよ」
「だ、だから、鍵は……」
「ここまで言えばわかるだろ?」
(な、なにがわかるんや、壬生さん!)
「僕の龍麻は恥ずかしがりやだから」
恥ずかしがりやとは誰のことだ、必殺仕事人。
耳元で小さく呟かれた言葉に、劉はパニックを起こした。
(僕のってなんや!)
勝手に所有物扱いされたことを知らない龍麻は、妙な顔で固まっている劉の顔をペチペチと叩いて首を傾げている。
「なんなの、こいつ」
「さあ、どうしたんだろうね。それより龍麻、買い物を済ませないと遅くなるよ」
「そうだな、正気に戻ったらついてくるだろ。今日は俺すごい期待してんだけど」
「龍麻の期待を裏切るなんて、僕にはできそうにもないよ」
影に生きる暗殺者が、よくそんな歯が浮いたようなことが言えるものだ。
表の世界に免疫がない分だけ、恥という感覚がずれているらしい。
「あれ、これって」
「どうしたんだい」
「いや、珍しいなと思って」
「ああ、確かに自然食専門コーナーにでもいかないと見ないね」
「ふーん」
主婦たちのタックルに流されながら、まだ固まっている劉をチラッと見て、龍麻は有精卵のパックを手に取った。
「ちょっと、贅沢しようか」
「何がお好みだい」
「チーズオムレツ」
「了解した」
そんな二人の会話も知らず、劉は思考の迷路にはまりこんでいる。
(嘘や! アニキがあないな相手に身を任せるなんて!)
そんなことは誰もいってないだろ。
妄想が暴走しているらしい。
(アニキと中国に帰って客家を再興するわいの夢が……)
それは無理だと思うぞ、というかそんなこと考えていたのか。
一族最後の生き残りが何を言っている。
いいから、嫁を探せ。
アランを少し見習ったらどうだ。
コスモイエローなんだろ。
仲間のよしみで男女交際のいろはを学んだ方がいいと思うが。
(男相手にアニキを渡すぐらいなら、わいが……)
どうする気だ。
どうして龍麻に惚れる相手はストーカーへ一直線なのか。
龍麻の気持ちは無視らしい。
龍麻に似合いの女の子を探すぐらいの発想はないのか。
壬生のライバル蹴落とし作戦は裏目に出たようだ。
(そうと決まったら、早速今日は邪魔せんとあかん)
かなり自分勝手な決意を固めた劉が拳を握り締めていると、後ろから龍麻に殴られた。
「いつまで百面相してやがる。帰るぞ」
「そ、そうや、アニキ。なんか、わいも壬生さんの料理ご相伴に預かりたいな思ってんねん。それで、アニキが迷惑じゃなかったら……」
「はーん。そりゃ、ラッキーだったな。じゃ、行くか」
「計算ミスか」
「なんだって、紅葉?」
「いや、なんでもないよ。これ以上遅くなると如月さんを不機嫌にさせるから急ごうか」
「オッケー」
「って、アニキ! それって?」
「ユエ……お前、本気でさっしが悪いんだな」
「へ?」
「男ふたりで年越しなんて寒い状態俺に耐えられるわけないだろ。そんなことするぐらいなら一人の方が百万倍マシ。でもまあ4人なら賑やかでいいんじゃないかなと思ってさ。翡翠に頼んで場所提供してもらうことにしたんだ」
「4人って、わいも数にはいっとんのか?」
「年末年始ひとりなのって俺らだけだろ。呼んだ時点でわかってると思ったんだけどな」
龍麻は不満そうに言った。
劉は力が抜けて、なんだか笑えてきた。
「なんや、そっか、そやったんか。壬生さん人が悪すぎや」
あーあ。あれを冗談だと思っている。甘いな。
「紅葉。なんかしたの?」
「彼の気のせいだろ」
「絶対聞き出すから覚えとけ」
言葉を失っている壬生を無視して、龍麻は劉の横に並ぶ。
同じくらいの背丈のふたりだが、肉がつきにくい龍麻のほうが幾分か華奢に見える。
色素が抜けたような白い肌も、長い睫も、劉ははじめて気がついたような気がしてドキドキする。
仲間内最強の男にそんなことを考えるのはおこがましいとわかっているが、この人を守りたいと強烈に思った。
(なんか、頭に血がのぼっとったんやろうな。あれはやっぱ気の迷いや。大切なアニキにそないなことできるはずあらへん)
ストーカーなことを考えたのは気の迷いだろうが、大切さがちょっと違うだろう。
純朴な少年には、なかなか己の心情が自覚できないらしい。
「ユエ、手だしてみ」
「なんや、アニキ」
「いいから、手」
言われて差し出した手に、卵がポンっと置かれる。
「なんや、これ」
「見たとおり卵だよ」
「いや、だから、これはどういう」
「それ、有精卵なんだよ。孵るかどうか知らないけど、ひよこになるんだろ? ユエが前にひよこが好きだって言ってたの思い出してさ。孵してみろよ。ひよこ研究会会長殿」
「アニキ」
感動屋の劉が涙を流して龍麻をみつめると、怯えたように龍麻は1歩下がる。
「な、なんだよ、いったい。そんな泣くほどのことか」
「わい、わい……一生アニキについてくわ!」
「こんなことで、一生を決めんな! うっとうしいぞ、お前」
そんな龍麻の声も聞こえないらしい劉は、如月家に到着するまで泣き続け、龍麻を不機嫌にさせ、壬生に闇討ちを決心させてしまっていたが、とりあえず今のところ彼は幸せだった。
龍麻を己の主と定めた忍者と、龍麻の古武術での半身である暗殺者に挟まれた寒風吹きすさぶ食卓も、劉の幸せに水を差すことはできなかったらしい。
鍵の追求はどうなったんだろう。
如月も持ってると知ったら、また騒動が起きそうだが。
ひよこはその後無事に孵って、タツマと名付けられたのは内緒である。
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