一人目は、霧島だった。
「龍麻先輩! 僕の気持ちです!」
「朧残月!」
霧島の気持ちは、京一の剣技によって阻止されたに見えたが、マッハで間合いを詰めた霧島は、何事もなかったように龍麻の前ではにかんだ笑みを見せた。
「さやかちゃんに手伝ってもらったんですけど、龍麻先輩チョコがお好きだって聞いたから」
「聞きたくないけど、一応確認するが、手作りか」
「はい!」
「却下」
霧島やぶれたり。
「霧島君ごめんさい」
なぜあんたが謝る菩薩さま。
さわやかな笑顔のまま、霧島はシクシクと涙を流した。
「も~ろ~は~」
トドメは京一がさしたようだが、後ろを振り返らなかった真神勢はその後の霧島の運命を知らない。
制服に手裏剣が刺さっていたような気がするのは、多分京一の気のせいだろう。
霧島をはじめとする仲間の攻勢に、さすがに龍麻も疲労を隠せない。
何故にそこまでムキになるのか。
結局、女子連からはチョコをもらえなかった龍麻だが、実際もらったことがないのでその辺は気にしていない。
ただ、野郎どもが我先にとチョコを手渡そうとしてくるのは勘弁して欲しかった。
「チョコは好きだ。たしかにな。でも、何が哀しくて男の手作りチョコなんていう気色の悪いものを俺が食さねばならんのだ」
「先生それは差別だろ」
「黙れ。そこにお前が加わってることが一番不審だよ村雨」
「俺も何の因果でとは思ったんだが。何故か成り行きで芙蓉とチョコ作りにいそしむはめになっちまってな。作っちまったもんは仕方ないから、先生に食べてもらおうかと」
「思うな!」
とりあえず、龍麻に近づく仲間全部を撃退した京一は半ば死人と化している。
醍醐がしきりに気にしているが、葵を恐れて近寄れないらしい。
不思議なことに、京一以外の人間が龍麻に近づくことに、葵はとても寛大だ。
「だいたい、世間一般でこれは女の子のための祭典なんじゃないのか?」
「ああ、そのようだけどな。祭りにかこつけて何かしたいんだろ」
「他人事みたいに言うなよ。自分はどうなんだ」
何故か水浸しの白いガクランを掴むと、苦笑で返された。
「言わなきゃわかんない人じゃないだろ。アンタ」
「わからん」
「ズルイと思ったことないかい。自分のこと」
「さあな。お前にだけは言われたくないが」
「そいつには、きっちり引導渡しといたほうがいいんじゃねえかと思っただけさ」
「俺は知らない」
「やっぱり、ずるいねぇ。先生」
「だから、お前が言うな」
「意味深な会話してると、誤解されるわよ龍麻」
「されたくない相手には、きっちり言い訳するからいいさ、別に」
「俺はずっと知りたかったんだけどね、なんでこの人じゃいけないんだい?」
龍麻と葵は顔を見合わせると、双子のようによく似た笑いを浮かべた。
「お似合いだろ。俺たち」
「ああ。どっからも文句のつけようがない」
「だからだよ」
「そういうことなの」
「はっ……そういうことね」
肩で息をしている京一を気の毒そうに見ると、村雨は笑った。
「諦める必要はないってことかい?」
「俺には関係ないってことだ。何を言ってるのか知らないが、諦められるなら、とっとと忘れろ。迷惑だ」
「それは、そこで伸びてる兄ちゃんに言ってやったほうがいい台詞だな」
「俺の本命って誰だと思う?」
「あ? たぶん知ってると思うけど、あんたは違うって言うんだろ?」
「違うから違うんだよ」
「龍麻を困らせる人には、少し意地悪してしまうの。いけないわね、私ったら」
それは脅しですか、菩薩眼さま。
遠巻きに見てないで、助けろ醍醐と小蒔。
今にもゾンビになりそうな京一を見捨てて、龍麻は鞄を持ち上げた。
「じゃ、みんな。俺今日はまっすぐ帰るから。京一が気がついたら抑えといてくれ」
「ひーちゃん。気をつけてね」
「まあ、暴走しそうなヤツは京一が全部のしてしまったが、用心するにこしたことはないぞ」
「関係ないやつもやられてたんじゃねぇか?」
黒崎とか、黒崎とか、黒崎とか。
龍麻と仲良しだけど下心がない、数少ない相手だというのに。
ちなみに劉はバレンタインというものを知らないので、この騒ぎにはまったく関知していないし、知ってたところで参戦したりはしなかっただろう。
劉の龍麻への情は、蒸留水のように純粋だ。
人を影から水責めにしたり、手裏剣投げたりしてる忍者が純粋かは知らないが、どさくさに紛れる気はないらしい。
「まあ、猿と亀がしたことだから、気にするなと言っておくさ」
「そうね。不可抗力だわ」
「あおい~」
「俺はなにも聞いていないぞ」
水浸しの村雨は真神の連中を笑いながら見ていたが、去り際の龍麻の台詞を聞いて凍り付く。
「じゃ、俺、部屋に本命待たせてるから」
悲鳴にも似た驚きの声を無視して、龍麻は高笑いしながら、住人と住人が招いた人間しか入れない部屋にダッシュで向かった。
「京一は、俺の相棒なんだよ、村雨」
龍麻の部屋の合鍵を持っているのはふたり。
どちらも京一じゃない。
「本命なんて、知るか」
選ぶ気がないのだから、村雨の言い分は正しいのかもしれないが、ふたりとも龍麻に選択を迫らなかった。
恋でも愛でもないのかもしれないけど、今はそれでいいと思っている。
扉を開ける瞬間はドキドキする。
バレンタインを忘れていたのは、半分本当で半分嘘だ。
その日はふたりともいっしょにはいられない日だったから、特別な日だと思いたくなかった。
ふたりともいてほしいと思うのはひどいんだろうなと思っても、それが龍麻の本音だった。
京一の気持ちが龍麻の都合で動かせないように、龍麻も自分の気持ちを変えられないから、何を言われても仕方がない。
本命のひとりは、今日は害虫退治に専念するつもりらしい。
それより、多分西洋イベントが慣れないのだろう。
忍者だし。
部屋の扉を勢いよく開けると、綺麗な笑顔が出迎えてくれた。
「おかえり、龍麻。寒くないかい?」
「ただいま。走ってきたから、そんな寒くはないけどな」
コタツに入ると、きれいにラッピングされたチョコの山が目に入る。
「なんだよ、これ」
「きみにだよ。女の子たちから預かったんだけど、味は被さってないから、龍
麻なら全部食べれるね」
「直接渡してくれればいいのに」
「本気だと、かえって渡しにくいものなんだろうと思うよ」
「本気ねぇ」
今日一日の騒動を振り返って、龍麻はちょっとだけ笑った。
「どうかしたのかい」
「いや、女の子はかわいくていいなと思ってさ」
掛け値無しに、彼女たちの気持ちは嬉しいと思える。
応えることはないだろうけど。
「はい、龍麻。温まるよ」
うんと頷いてカップを受け取った中身は、猫舌の龍麻用に少し冷ましたホットチョコだった。
心なしか、首と耳が赤くなっているように見える。
言葉にしない気持ちを、龍麻は気付いたりしないことに決めている。
それでも、言葉以上に雄弁なことがあることもちゃんと知っているから、龍麻は笑って呟いた。
「お前も、かわいいな」
「龍麻!」
「ありがとう、紅葉」
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